芝居小屋を未来へ 嘉穂劇場を地域づくりの担い手として

Blog 筑豊見聞録

新型コロナウイルス禍による経営難で2021年5月から休館している飯塚市の芝居小屋「嘉穂劇場」(国登録有形文化財)の再開に向け、専門家や市民でつくる市の委員会で、改修の内容などの具体策が議論されています。 そこで今回、炭鉱華やいだ時代から地域を見守り、コロナ禍により閉館を余儀なくされた嘉穂劇場が、今後どのように再生し、現代によみがえっていくのかをイメージしてみたいと思います。

休館からこれまでの経緯

専門家らでつくる「飯塚市文化施設活用検討委員会」が、10月18日に開催されました。観光関係者や学識経験者で組織される同委員会は、これまで3回の会合を重ねています。この中で市教委側が舞台や客席、敷地内の広場や建物の改修案を示し、委員が意見を出し合った。 その主な内容は以下のようなものがあります。

近代的な改装に関して

市教委側は、1階の升席の仕切柵を取り外して立ち見席や子席も設ける改修案を提示。舞台上にある幕や照明をつり下げる竹製の棒は手動で上げ下げしていたため、金属製にし電動化する案も示されました。 

これに対し、委員からは「使いにくさはあるが、これが嘉穂劇場の魅力。 併用を考えられないか」などの意見がある。

文化財としての価値を後世に伝えていくのであれば、この辺は重要なポイントとなる。今では見ることがすくなくなっている芝居小屋の構造を目の当たりにするには、その価値が高いと言えます。

劇場正面の駐車場エリアについて

各委員からの発言として「駐車場の屋根が邪魔で劇場の写真が撮れない。撤去して、撮影空間を早くつくってほしい」、「マルシェなどのイベントを開けば、 劇場が動き出したイメージを市民に伝えられる」など、活性化に向けた意見が寄せられた。

今回の検討委は第2期で、第1期(22年3月~23年2月)では嘉穂劇場を、①劇場②多目的公共施設③観光資源④文化財という四つの性格を持たせて活用することなどを教委に答申している。これにつづく第2期では、来年2月まで改修内容や管理運営の具体策を議論する予定となっています。 

ウィキペディアより

検討委と並行して、市の文化財保存活用推進委員会の専門部会では、各分野の専門家が、嘉穂劇場の文化財としての保存や活用の在り方を審議されています。

市教委は、検討委と専門部会での審議内容を加味し、最終的な改修内容とその整備計画を立案することになっています。

再生に向けて

市は民間から受け継いだこの劇場を「公共施設」として再出発させるねらいがあります。施設を所管する市教委は答申を基に保存活用計画を23年度内に定める予定だそうです。

建物は耐震補強・改修する方針で、本格的な開館にはなお2~3年かかる見通しです。 

答申は、学校などとの連携によって子どもたちが筑豊地区の歴史や文化芸術に親しみ、表現の楽しさを学ぶ場とすることで、持続的な運営と地域活性化に結びつけるとした。重ねられている住民参加型のワークショップでは、イベントの内容や地域住民が気軽に利用できるルールづくり、他機関、他団体との連携など、多岐にわたる意見が交換されています。

飯塚市HPに公開されている基本方針

飯塚市は、劇場としての機能を損なわずに、市民も気軽に活用できる施設として再開を目指しています。このために、建物としての耐震性を強化し、長く活用できる設計と具体的な計画を検討しています。以下は、飯塚市HPより引用したものになります。

1.  嘉穂劇場耐震診断等調査及び耐震補強計画

嘉穂劇場は公共施設として、まずは建物の安全性を確保する必要があります。

そのため、地震などに対する建物の性能を確認する耐震診断等調査を実施し、劇場の耐震性能に応じて必要な補強計画を策定します。

現在、建物の調査や地質調査などが終了しており、耐震補強計画は令和6年2月末までに完成予定です。

2.  嘉穂劇場保存活用計画

嘉穂劇場は国登録文化財として、保存と活用に関する計画を策定しています。

この計画は、劇場のどの部分が文化財としての価値を持っているのか、その部分を保存しながら劇場をどのように活用するかを決めるものです。

現在、建物の現地調査などが終了しており、保存活用計画の完成予定は令和6年3月末です。

3.  嘉穂劇場施設改修・管理運営計画策定

嘉穂劇場施設改修・管理運営計画は、劇場として必要な施設や設備の改修、そして効果的かつ効率的な管理運営を行うために策定されます。完成予定は令和6年3月末です。

再開へのモデル 八千代座(山鹿市)

パッケージツアーなどにも観光スポットとして人々を集めている、山鹿市の八千代座は嘉穂劇場よりやや先輩の明治の終わりに落成した芝居小屋。こちらは国の重要文化財としての価値が認められているが、そこに至るまでは長い年月と人々の気苦労、そして大きな費用のともないました。

「平成の大修理」と言われた大掛かりな工事は、その軸として「文化財としての価値を守る」と「まちづくりの核」の二つがありました。

劇場としての機能を維持しつつ、外観を損なわずに拡張や増築、補強といった各種工事を実施したそうです。

楽屋、トイレ、売店といった施設は復元したものの、あくまで見学するためのものとして保存、管理し、実際に使用するものはあらたに新設したと言います。こうして文化財としての価値を損なうことなく、新しい時代のニーズに対応するための設備を新設したのが、国重要文化財の八千代座です。

嘉穂劇場も基本構想をこれにならっているようです。先に示した4つの性格(劇場・多目的公共施設・観光資源・文化財)を位置づけています。

八千代座との違い(嘉穂劇場の差別化)

ニッポン旅マガジンより引用

戦前の炭坑全盛期に落成した嘉穂劇場は、鉱夫をはじめとする炭鉱労働者への娯楽提供のために作られた側面が大きい。この点は温泉街として古くから知名度のある山鹿の地に、観光客へ娯楽と余暇を提供するために生まれた八千代座とは根本的に異なる。

明治から大正、昭和と近代化へのエネルギーを支えるために、炭坑が乱立した筑豊には多数の人々が集い、炭坑を中心に町づくりがなされた。

時として過重な労働、しかも自身の命をとした採掘は、人々に憩いが必要となるもの。こうしたにニーズに応えるように生まれたのが嘉穂劇場です。

このようなことは、嘉穂劇場を差別化しオリジナリティを高めるための大きなポイントとなります。

文化遺産としての付加価値を 筑豊炭田建造物群というストーリー

飯塚市では嘉穂劇場を市指定文化財として、劇場としての機能や住民の公共施設として利活用を目指している。

この一方で、前項でもふれたように、炭坑が華々しかった時に開業したという側面があるのもこの劇場。

この視点から、筑豊炭田の歴史の中から嘉穂劇場、そして現在受け継がれている炭坑関連の近代化遺産群の中で位置づけてみると、国内でも類例のないストーリーが見えてくる。

炭坑全盛期に創建された建造物に限定してその遺産群をリストアップすると

 ・飯塚市…旧伊藤邸(庭園は国指定史跡)、嘉穂劇場(国登録文化財)

 ・直方市…旧堀三太郎邸(現直方歳時館)、旧筑豊石炭鉱業組合会議所(現直方石炭記念館)

旧林田春次郎邸

 ・田川市…旧林田春治郎邸(現あをぎり、国登録文化財)

貝島六太郎邸(百合野山荘)

 ・宮若市…旧貝島六太郎邸

 ・福智町…旧三菱方城炭礦工務工作所(現日立マクセル、国登録文化財)

先に重要文化財と指定されている筑豊炭田遺跡群と違い、炭坑そのものの遺跡ではなくその周辺にできた建物。地中からのメッセージとともに、地上にしっかりと残り、訪れる人を圧倒するほどの存在感があるのが建造物群。

そのストーリーとは、筑豊炭田遺跡群とともに炭坑関連の施設(旧三菱方城炭礦工務工作所)が整備され、それらを中心に町や生活環境などが形成された。

近代化を急ぐ日本にとって、鉱工業は国の礎、特に八幡製鉄所(世界遺産構成資産)に期待された鉄鋼業は、当時「鉄は国家なり」というキャッチフレーズが生まれるほどであった。このような近代化への志向によって、筑豊炭田の石炭が近代化のエネルギー源として多方面からニーズを寄せられるようになりました。

最盛期には300を超える炭坑が開坑し、仕事を求めて国内外から筑豊に人々が集まりました。人々の集まりにともなって町も大きく発展し、炭鉱マンとその家族のための炭坑住宅が何万と連なるように整備され、その一方で人々に娯楽を与えた芝居小屋が各地に登場しました。その数は30ほどに上ったと言われます。

炭鉱ありし時代の芝居小屋分布

このなかの一つが嘉穂劇場であり、炭坑の閉山とともにほとんどが姿を消した芝居小屋のなかで、奇跡的に現代まで受け継がれてきました。

炭坑王の邸宅も、当時の栄華の象徴として(あるいは解体費用が莫大となるリスクもあって)解体されずに今に残ります。

以上の建築物は炭坑が生まれなければ建設されなかったかもしれませんし、エネルギー需要により活気にあふれた当時を物語る物証です。そして、日本の近代化の中で石炭産出量の過半数を占めるほどの貢献があったことを証明する、他地域にはないユニークな文化遺産群でもあります。このような功績と経歴があったために、次の世代にも受け継いでおきたいと人々が思いを込めている。そのほどの歴史的な付加価値が、これら建造物群にはあるのです。

以上のストーリーは、嘉穂劇場を今まで以上に注目度を集めるブランドづくりになるのではないでしょうか。また、筑豊炭田遺跡群が国重要文化財として位置づけられているのなら、その建造物群もユニット構成による国重要文化財としての価値、それが再認識され実現に向けたロードマップを描ける可能性が生じてきます。

災害にも負けず、経営難という状況から再生を目指して関係者が前向きに取り組んでいるのは、嘉穂劇場そのものの歴史的価値と奇跡を起こせるだけのエネルギーに満ち、そして人々を魅了しているからだと思われます。机上の空論ではありますが、飯塚市の人々が前向きに取り組んでいることに敬意を示しつつ、その思いに支援をという意味で草稿いたしました。嘉穂劇場の存在意義とその歴史的な価値は、多くの人々に再認識してもらえることを祈念しつつ、校了とさせていただきます。最後までお付き合いありがとうございました。

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