不屈の文化継承~嘉穂劇場~

嘉穂劇場

長い歴史に育まれた芝居小屋

江戸時代に生まれた芝居小屋は、庶民の娯楽、また文化芸術拠点として人々に親しまれた。それは江戸初期に流行した歌舞伎座としてはじまり、この一方で地方には小芝居として寺社地境内や盛り場で興行が生まれた。

これは明治にいたっても大きく変わらず、日本全国に芝居小屋が建てられた。

この時期の筑豊はちょうど石炭鉱業の隆盛であり、国内外から多くの人々が職を求めて流入してきた。こうしたことを背景として、遠賀川流域の各地には大小さまざまな芝居小屋が50近くにおよび、筑豊御三家を中心とする炭坑王も寄付や出資をおしまず、にぎわいをみせていたという。

昭和6(1931)年、嘉穂劇場は旧嘉穂郡飯塚町(現在の飯塚市)で産声を上げた。前身は大正10(1921)年に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての「株式会社中座」であった。火災や台風などにより幾度となく危機的な状況を被りながらの再出発であった。

炭鉱労働者の娯楽として、映画や芝居は人々に親しまれ、大衆演劇や歌手の公演などでにぎわった。

しかし、エネルギー革命による炭坑の相次ぐ閉山により、最盛期には延べ266日であった公演数が、1970年代には10~15日に落ち込む。

昭和54(1979)年から毎年9月に九州演劇協会による「全国座長大会」が開催したり、独特の建物が醸し出すレトロな雰囲気が、脚光を浴びるようになった。

なお、平成に入ってからは、椎名林檎が「座禅エクスタシー」と銘打って、イベントを挙行したこともある。

引用元:アマゾン

困難を乗り越え、人々に支えられてきた嘉穂劇場

平成15(2003)年7月19日の大雨により、劇場がある飯塚市の中心部一帯が浸水し、1階内部を中心に壊滅的な被害を受けた。こうした被害を受け津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、中村勘九郎(後に18代中村勘三郎)などといった俳優や芸能人が駆け付け、復旧チャリティイベントが行われた。このイベントでは、田村正和や木村拓哉らの私物がチャリティオークションにかけられるほど、芸能界からのエールが熱かった。

約1年かけて復旧工事が行われ、復旧を記念して浸水被害直後の公演予定だった九州の人気劇団ギンギラ太陽’Sの公演も行われた。こうした一連の復旧に公的資金の支援を受ける必要があったことから、特定非営利活動法人(NPO)化された。

現存最古の芝居小屋は、香川県琴平町の旧金毘羅大芝居(金丸座 天保六(1835)年)を筆頭として、次いで熊本県山鹿市の八千代座(明治43(1910)年)などがある。これらはともに国重要文化財として、わが国の歴史を象徴する貴重な価値が認められている。

嘉穂劇場は、平成18(2006)年には国の登録有形文化財となり、数少ない現存する芝居小屋のひとつとして数えられるものとなった。

これは、江戸時代から受け継いできた芝居小屋の建築様式をとどめ、かつ日本の近代化を支えた筑豊炭田の功績を象徴する嘉穂劇場の歴史が、わが国の歴史の1ページとして貴重であるという証拠でもある。

先進技術の発展著しい現代、古くからの伝統を持つものは違った意味で価値を持つ。かつては乱立していた芝居小屋が、指折り数える程度となっているその希少性も高い。

文化財、コミュニティ施設としての新たな役割に向けて

新型コロナウイルス禍の影響は、地域にも大きな影響を与えた。嘉穂劇場は2021年5月から集客が落ち込み、経営難のためにNPO法人が解散。

現在は休館している芝居小屋は地域の人たちにとっても馴染み深く、飯塚市が無償譲渡を受け、その活用策を模索したきた。

このたび、専門家らでつくる「飯塚市文化施設活用検討委員会」(委員長・竹川克幸日本経済大教授)が、市教育委員会に最終答申した。

その大まかな内容は、文化財としての価値を保存しつつ、子どもの利用推進やバリアフリー化などで広く来場者を受け入れ、新たなエンターティンメントの提供を求めたものとなっている。

市は民間から受け継いだ劇場を「公共施設」として再出発させる。

施設を所管する市教委は答申を基に保存活用計画を23年度内に定める。建物は耐震補強・改修する方針で、本格的な開館にはなお2~3年かかる見通しという。

答申は、学校などとの連携によって子どもたちが筑豊地区の歴史や文化芸術に親しみ、表現の楽しさを学ぶ場とすることで、持続的な運営と地域活性化に結びつけるとした。

具体的なアクションプランとして

・定期的な見学会

・劇場のファンクラブ発足

・劇場前広場(駐車場) でのキッチンカーイベント

開館当初とは時代背景や人々のライフスタイルが大きく異なる中、21世紀における芝居小屋の新たな役割が定着できるかが課題。

今では希少となった文化財的な価値に理解を求め、後世に筑豊地方の歴史を伝えるための娯楽施設としての再出発を期待したい。

タイトルとURLをコピーしました