白ダイヤ もう一つの鉱石

削平された香春岳とセメント工場

黒ダイヤ、白ダイヤ、それは筑豊では石炭と石灰のことを指す。これら鉱物をダイヤと呼ぶのは、筑豊炭田と呼ばれ炭鉱で一大栄華を築いた成金がいたり、高度成長期の建設ラッシュでセメントの高需要を受け、その原料採掘から製造、販売を通して大きく発展したことに起因する。

石炭、石灰の話をすると避けられないのが筑豊地方の地質。何万年という営みから生まれ、一筋縄ではいかない内容だができるだけ簡単に説明したい。

今から遡ること約2億4000万年から6500万年前の中生代、筑豊地方は珊瑚礁などが生息するに相応しい浅い海が広がっていた。珊瑚礁は海水中の二酸化炭素やカルシウムなどを体内に取り込み、炭酸カルシウムを主成分とする骨格となる。たくさんの珊瑚礁が生息する場所には、自然とその下に石灰岩の地層を形成する。長い年月をかけることでその層は厚く堆積し、地形の基礎を成すことが多い。こうして石灰岩層が筑豊地域には形成され、中生代の終わりごろに花崗岩質閃緑岩、変成岩といった地層も不整合に貫入したと考えられている。

次の時代の新生代(6500~2250万年前)は、恐竜が絶滅し、代わって哺乳類が地球上に発達した時代。筑豊地方は全体的に地形が隆起したため、内海から大河となり淡水化した。これが遠賀川の母体で、周辺には森林が広がっていたと推測されている。この時代にできた古遠賀川ともいうべき大河が、石炭層を侵食する一方で、大地が生まれ森林ができたりその逆の地形形成が繰り返しおこなわれた。その大地が森林とともに埋没し、メタセコイアという化石となって発見されることもある。これが地層化したのが新生代第三紀層にある石炭層といわれている。

現代の筑豊地方の地形に即して考えてみれば、平野部や丘陵地帯の地表から数百メートルの深度にあるのが石炭層で、その周囲を取り囲むようにある山地は石灰岩、花崗岩を主体に閃緑岩や変成岩の地質で、これらは太古の時代にも河川によって浸食をまぬがれたと考えられる。一概には言えない部分もあるが、これが筑豊地方の地質や地殻変動によってできた地形形成史の概観である。黒ダイヤも白ダイヤもこうした地質的特徴を、先人たちが利用して生み出された産業なのである。

知っている方も多いと思うが、筑豊炭田の炭層は地表に露出している部分もあるものの、大半は現在の地下数十mから数百mの深度にあるため、なかなか目にすることはできない。博物館や資料館、石炭記念館などに行くことでしか、黒ダイヤにはお目にかかれないのである。

この一方、白ダイヤの原石は自分で目的のところにさえ行けば目にすることができる。山間や丘陵には石灰や花崗岩質の露頭はそこかしこにある。以下ではそれらのなかでもユニークな姿にお目にかかれるポイントを紹介したい。

香春岳:香春町

香春岳は、五木寛之『青春の門』でもふれられた名峰。言わずと知れた田川のそして筑豊の象徴のひとつとして数えられる。「異様な山」と五木寛之から形容されたその威容は、今日でも人々に畏敬の念を与え続けている。

掘削開始以前の香春岳

中世(鎌倉・室町・戦国時代)には、香春嶽城が築かれ、隣の旧京都郡(みやこ町方面)と旧企救郡(小倉方面)に対する要衝の地とされた。現在では一の岳、二の岳、三の岳のうち、一の岳が大きく削り取られいる。セメントや石灰鉱業の発展のための資源を供給してきたためにこのような景観となったためだ。

一の岳航空写真

香春岳は、全山が良質な石灰岩により形成されている。そして、「日本初」が香春岳には秘められているのを知る人は少ない。それは竪穴式のベンチカット(断面階段状にほりすすめて行く露天掘り。その断面がベンチに似ていることが名前の由来です)という方法で採掘されたことにある。それは昭和10(1935)年のことで、それは今も変わらず受け継がれている。

現在の香春岳

筑豊の炭坑関連の文化遺産を世界遺産とすべく、ユネスコの専門家を招いた際、この不自然に平らな一の岳とその前に広がる巨大な工場の景観を興味深く見学した過去がある。残念ながら炭坑と関連の薄いものだったので候補から除外されたが、一の岳と巨大な建物群が織り成す景観に数多くの世界遺産を目にしてきた専門家たちをうならせた。香春岳には、産業遺産としての価値が高いということ現れである。

岩屋鍾乳洞:田川市

北九州国定公園に含まれる平尾台は、石灰質の地質によるカルスト台地と、地下水により何万年にもわたって侵食された鍾乳洞の景観が有名だ。しかし、この付近でだけカルデラ台地と鍾乳洞が見られるわけではない。筑豊にも同じ石灰岩質の地形で形成された地区がある。それは香春岳に象徴されるが、香春岳のすぐ近く、田川市の夏吉から岩屋(ごうや)付近の丘陵地帯にまで石灰岩地質が広がる。

そのため、田川市の岩屋では鍾乳洞を観察できる場所がある。常時公開されている訳ではなく、地元によって管理されている。中は約170mほどが探勝できる。筑豊でも鍾乳洞を見れる唯一のスポットとして貴重で、知る人ぞ知る名勝地だ。

岩屋鍾乳洞

ロマンスヶ丘:田川市

岩屋鍾乳洞近くの通称「ロマンスヶ丘」は、カルスト台地として知られるレアな場所。

名称の由来は、丘全体に点在する石灰岩が、白い羊の群れのように見え、あたかも天空の楽園のようなロマンに満ちたイメージを与えるためとのこと。

知る人も少なく、訪れる人もまばらだが、眼下に田川、飯塚方面、晴れた日は英彦山から馬見岳、屏山、古処山も見渡せる。眺望には絶好のロケーションで、筑豊のひそかな癒しのスポットである。

ロマンスヶ丘

関の山:飯塚市・田川市

山頂付近から香春岳方面をのぞむ

飯塚市と田川市の境界は、その昔筑前を豊前という旧国二つの境界でもあった。今でもその堺にある烏尾峠には、江戸時代のものとされる石碑もいくつかある。古代には太宰府へと続く官道の関所があった場所とも伝えられ、交通の要衝として古くから人々に認識されていた。今はそんな歴史の面影も感じさせることもなく、何も知らなければただの峠道としかみえない。そしてあまり知られていないのは、この境界付近もまた白ダイヤを産出する原産地であるということだ。

関の山は標高359m、山頂付近は草原状となっており、草むらが広がる。ところどころに石灰岩の露頭が大小数々点在する。その光景を遠くから眺めると、先に紹介したロマンスが丘の光景のように、羊が群れをなしているように見える。日王山と同様、ここからの眺望もよく筑前、豊前の旧国を広く見渡せる。

登山道は現在飯塚市の庄内地区からのルートしか見当たらない。飯塚市綱分438番地あたりを目標にすると、駐車場がある登山道入り口に到着する。ここから途中石灰窯跡を経由しながら、約50分ほどで山頂に至るため、低山歩きには最適なルートと言える。

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