
陶芸にかけた匠の技
受け継がれて400年、多彩に広がるやきものの世界
上野焼の歴史と今から、日本の伝統美にふれてみよう
上野焼の窯元は、北九州国定公園福智山のふもとに点在し、現在その数は20数軒にのぼります。
近くには「白糸の滝」と称される滝が流れ、険しい渓谷をつくり「上野峡」と呼ばれ、古くから多くの方々に親しまれてきました。渓谷は、春は緑に包まれ、秋は紅葉が彩り、さながら絵に描いたような景観を見せています。
上野焼は、このような自然景観に恵まれた地に、今を遡ること400年前、豊臣秀吉の「文禄・慶長の役」により、千利休の「侘び茶」を受け継ぐ大名茶人細川忠興(三斎)が慶長七年(1602年)豊前国に入国した際、李朝陶工尊楷を招き、陶土に恵まれた上野の地に開窯させたのがその始まりと言われています。
顧みると、幾世代にもわたって受け継がれてきた今日の上野焼は、こうした歴史の遷り変わりの中で、多くの陶工たちの苦悩と努力、そして悦びによってもたらされたことが容易に想像できます。
私たちは、自然を愛し、土に挑み、火を操ってその時代を築いてきた先人たちの心に触れ、これからの上野焼を受け継いで行かなければなりません。
筑豊地方のものづくりを象徴する上野焼、それにはたくさんの秘められたエピソードがあります。それらエピソードを通じて、上野焼の魅力にふれるためのコンテンツを紹介します。
侘び寂びからものづくりへ 古上野焼

乳白色の藁灰釉をベースに緑釉が飾られることがネームブランドというイメージが強い上野焼、実はそれはごく一部であることに気づく。その多様な様式美には、どんなものがあるのだろうか?(続きはコチラ)