筑豊五大炭坑王 堀三太郎邸 未来を見据え

Blog 筑豊見聞録

直方市の新町にある直方歳時館、今は生涯学習施設として活用されている。そこは、市民の集う場所、そして直方地域の文化芸術発信の拠点ともなっている。これほどの和風建築、なかなか目にすることはできず、他の炭坑王たちの邸宅と比較するとやや小さいかもしれないが、存在感があり人を惹きつけるものがある。

ここでは筑豊五大炭坑王の一人、堀三太郎の生涯を簡単に振り返り、彼の功績の決勝でもある邸宅の魅力にふれ、これから先の活用についてちょっとだけ考えてみたい。

堀三太郎という人物像とは?

炭坑なき今、堀三太郎という人物について、語られることは少なくなったように思う。今までふれる機会がなかった人も、昔どこかで聞いたという人も、彼の人物像をすこしだけ伺ってみよう。

慶應2(1866)年に直方で生まれた堀は、23歳の時に炭坑に関わり、その事業経営に着手する。勝野、宮田、本洞などの炭坑経営のほか、国営となっていた海軍御徳炭鉱の払い下げを受け、盤石とした経営基盤を築き上げた。炭坑経営のほか銅山や金山の経営にも拡充し、今で言うところのマルチな活躍を展開する姿が鮮烈な印象を与える。

筑豊御三家の一人、貝島太助とは親分子分、兄弟ともいえるような間柄があったようで、彼の経歴には貝島家の影がちらほらと見受ける。マルチな手腕と地元各界から寄せられる名声により、衆議院議員を一度だけつとめた。その後は大正9(1920)年に御徳炭鉱を譲渡したことをはじめ、身辺整理をおこない「財産は子孫に残さない」との美学を貫いた人でもある。

堀三太郎邸の今

邸内にある渡り廊下

邸内は、1088坪に及ぶ庭、建坪150坪の木造平屋建ての建築で構成され、いずれも平成のはじめにリフォームを受け、内装を中心に心地よい和の空間が広がる。この一方で外装は大きな変貌を遂げたわけではなく、当時のたたずまいを今に残している。

ローケーションは直方の市街地を望む丘陵上にあるため、庭園を通した先に直方の街並みを眺められ、堀三太郎もこのような眺望をもって賓客をもてなしたいと思ったことだと思う。四季折々に咲く花も庭園の風雅さに花を添え、ちょっとリッチな気分にさせてくれる隠れた癒しのスポットと言えるだろう。

現在は「直方歳時館」として直方市民のコミュニティスペースでもあり、ちょっとした観光名所でもある。スタッフの方からは、「これだけの庭園があるのだから、もう少し庭園内に多くの花々を植栽してより華やいだものにしたいものです。」との声があった。たしかに琴の演奏会やクラシック、ジャズなどのコンサートを小規模でイベント化するとか、春先や秋などには茶会などを催しても楽しいひと時が創れるかもしれない。

母屋からみる風景(中央あたりに直方市役所)
庭園の様子

最近話題になった宮若市の百合野山荘(旧貝島六太郎邸)や国史跡の伊藤伝右衛門邸、麻生大浦荘(いずれも飯塚市)など炭坑経営者に関係した和風邸宅が見直されている。今回紹介した直方歳時館もこれらに比肩する歴史的価値の高い和風建築である。しかし、この一方でまだまだその価値が知られていない部分があるのではないか。PR不足は否めないところがあるが、最近流行のライトアップなどで一般客の来場を期待できるイベントなどが企画されることで、その価値が見直されていく可能性を秘めている。

スタッフの方の声を受けつつ、直方歳時館が今後より多くの人々に見直され、癒しの場、文化芸術の発信地としてさらなる発展を期したいと胸に秘めつつ取材させていただきました。これをご覧のみなさんも、何か興味のあるイベントなどを機会に、ぜひ一度ここで言う「雅」を体感してほしいところです。

直方歳時館HP→http://www.yumenity.jp/saijikan/

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