遠賀川~母なる河との共生~

直方チューリップフェア

筑豊地方を南北に貫流する遠賀川、一度はその名を耳にした人もいるかもしれない。嘉麻市の馬見山の麓を源流の地とするこの大河は、総延長は61㎞、支流は100を超え7市14町1村に渡って潤し、北九州市の響灘へと至る。一級河川としては九州で6番目の規模を測り、鮭が遡ってくる河川としては最も南に位置する。ちなみに鮭を神様の使いとして祀っている鮭神社が嘉麻市にあり、毎年12月には献鮭祭(けんけんさい)が行われる。全国的にもめずらしい神社としてにわかに注目されている。

古環境の研究成果からは、遠賀川の流域が縄文時代の海進期に深い入り江となっていたことがわかっている。古遠賀湾として知られる事実は、直方という地名(細長い直線的な干潟が広がっていたことにちなむ)や直方、鞍手地域に確認されている貝塚によって裏付けられている。

水運の記録の最古のものとして、大治五(1130)年と永暦元(1160)年に嘉麻郡碓井郷から東大寺に年貢が貢納されたことを記しているものがある。これより古い記録は定かでないが、古代から中世にかけても水運に活用されていたことは想像に難くない。

江戸時代になって太平の世となると、遠賀川流域の平野部は穀倉地帯として期待された。旧筑前国では全石高の30%、旧豊前国では15%を超える生産力であった。このため流域に残る字名には、宮田、頴田、金田、糸田、弓削田など水田にちなむものが多い。

この一方で遠賀川は暴れ川としても知られ、藩の行く末を左右する遠賀川流域の石高量と水運は、黒田藩、小笠原藩ともに重要視した。特に福岡藩祖黒田長政は、藩内でも最大の平野部と言えるこの地を重んじ、遠賀川の治水に着手した。この時から長い年月をかけてうまれたのが堀川だ。江戸時代の半ばには現在の遠賀川の形となり、同じころ商品として石炭が流通し始めたため、堀川を利用して石炭などを満載した川ひらたが往来するようになった。

明治維新となりあたらしい近代化へと大きく動き出した時代には、遠賀川流域の石炭がその起爆剤として期待され中小炭坑の乱立と大手資本による大規模炭坑が操業し始めた。国内外からあまたの労働者が集まり、爆発的に産炭量が増えた。この動きに習うように川ひらたの往来も増え、最盛期には5,000艘に及ぶようになる。鉄道の開通によってその役目も終え戦前期には大きく減少した川ひらただが、産炭量の増大によってもたらされたのは、遠賀川の深刻な汚染だった。人々が多く集いその生活排水もこうした問題に拍車をかけた。

遠賀川流域は人口密度が九州でも屈指の高密度で、人々の暮らしと密接なことでも知られる。このため、ひとたび大雨や突発的な豪雨が発生すると、常に災害に悩まされてきた。直方市や飯塚市の市街地は台風や大雨の度に、洪水などの災害に見舞われることもたびたびであった。母なる筑豊の大河、それは大きな恵として住む人々に豊かさをもたらしてきた反面、

炭坑の相次ぐ閉山によって、黒く濁った遠賀川は今ようやく往時の母なる河といえる美しい景観を取り戻しつつある。先に述べたように鮭が遡ることの南限と言われるこの河に、近年ようやく鮭が戻ってくるようになった。コイやフナなどの在来種の川魚の生息も確認され、確実に環境美化が進んでいる。上流部ではヤマメやアユなどの川魚が確認されるようになり、本来の遠賀川の姿が蘇っている。

春先には河川敷の至る所で野生種の菜の花が咲き乱れ、自然と親しむ機会が多くなった。以下ではそんな遠賀川流域の各所の観光名所オススメスポットを紹介しよう。

石炭を満載した川ひらた (北九州いのちのたび博物館展示模型)

遠賀川河川敷リバーサイドパーク:直方市

直方市は、飯塚方面からの遠賀川本流と田川方面からの彦山川の合流地点にあたる。このため直方市街地付近から河川敷が大きく開けてくる。この環境を利用し整備されたのが遠賀川河川敷リバーサイドパークである。福智山を眺めつつ雄大な遠賀川の河川敷に抱かれ、街中にも関わらずオートキャンプもできる。付近には遠賀川水辺館があり、防災減災のための啓発活動とともに、遠賀川周辺の生態系を学べる。

毎年4月には、「のおがたチューリップフェア」が開催される。住民たちが中心となって植栽された10万本以上のチューリップが河川敷に花開き、毎年20万人以上の来場者でにぎわう。

福智山ろく花公園:直方市

直方市民から霊地として畏怖されている福智山。その麓には遠賀川の支流のひとつ、福智川が流れている。その流域には多種多様な植物とふれ合う園庭がある。それが福智山ろく花公園で、一年中艶やかな花や緑を楽しむことができる。

ポピーやアイリス、パンジー、さくらやライラック、ひまわり、チューリップといった知名度の高い花々をはじめ、図鑑などで調べなければ名前もわからないような花までその種類は数えきれないほど。園内は広大な敷地に恵まれ、子ども連れでボール遊びやバドミントンなどもたのしめる。のびのびと体を軽く動かしながら、自然に親しめる場所として直方市内はおろか、他市町村からの来客が絶えない。

直方市は1997年に「花の都市宣言」を発表し、これと同時に開園したのがこの場所。暮らしやすい直方市のPRとともに、自然と親しめるまちとしての地域づくりを象徴している。

竜王峡:直方市

福智山の直方市側の麓にある秘境。キャンプ場として市民から親しまれており、夏場には家族づれで賑わう。水の神を祀る龍王神社が鎮座しているが、古くは雨ごいの場所として知られていた。花崗岩質の地質にあるためか、大小の岩場の合間を小川のせせらぎが滴れ落ちるように流れている。神社から数百m入った山中には龍王の滝があり、落差約15mほどを測る。竜王峡のなかでもシンボル的存在で、他にもいくつかある滝のなかで最も勇壮だ。水の神がいると信じられていたこの地から、マイナスイオンを通じてその霊力にあやかることができる場所。ここのリフレッシュに最適な場所のひとつ。


竜王峡

千石峡:宮若市

遠賀川の支流の一つ犬鳴川は、宮若市の犬鳴峠を源流とする犬鳴川の上流部にある。話は外れるがこの犬鳴と言う地、昔から心霊スポットとしても知られ、映画やドラマの舞台ともなった経緯がある。宮若市はトヨタ自動車の工場をはじめとする産業が発展する一方で、福岡の奥座敷と呼ばれる脇田温泉に象徴されるように、風光明媚な自然環境に恵まれている。近年では福岡都市圏近郊でホタルが鑑賞できる地として、にわかに脚光を浴びている。

千石峡は、同じ渓谷でも先述の竜王峡とは景観が大きく異なり、やや川幅が広めで浅瀬が多い川の周辺に大小の岩、石が無数に堆積している。この地は恐竜の化石が発見されていることで知られ、「アドクス・センゴクエンシス」や「ワキノサウルス・サトウイ」といった千石峡周辺の地名にちなむ化石もある。

夏のキャンプシーズンには家族づれで水遊びや、キャンプBBQなどを楽しむ人々でにぎわう。周辺は親水公園ともいうべき整備がされ、小さなお子さんにも馴染みやすい。水遊びの最中に恐竜の化石などの発見があるかもしれない。太古の世界に思いを馳せながら、夏の思い出づくりに活用してもらいたい場所である。

千石峡

清水寺の雲海:宮若市

宮若市の中心部を流れる犬鳴川は、若宮盆地の沖積平野を潤し農業を盛んにしてきた。その水による恩恵は農業や生活だけでなく、自然環境が生み出す天然美術で私たちを癒してくれる。それが清水寺からみる雲海だ。

清水寺は標高200mほどの丘陵上にある、天平年間(729~749年)に建立され今日に至るという古刹。秋に色づく大銀杏は、嘉永三(1850)年に土石流をくい止め、村びとたちの災害を最小限に抑えたとか。比高差100数十m下に広がる沖積平野を見下ろすロケーションにあり、由緒ある歴史とともに見守っているかのようである。

県内のみならず九州各地からにわかに注目されている清水寺の雲海は、秋から冬にかけて目にすることができるという。特に前日に雨が降り、寒暖の差が大きい日がポイント。雨の湿気と丘陵をつたって流れてくる山水によって若宮盆地内を潤し、流れる風も小さく盆地内の大気が滞留しやすい条件となると、画像のように水墨画の世界や朝日のグラデーションが神秘的な天然の芸術に巡り合うことができる。

清水寺の雲海

遠賀川中之島:飯塚市

筑豊最大の人口規模を有する飯塚市は、福岡市へのアクセスも容易なためベッドタウン的な地方都市として発展著しい。都市基盤の整備も進み、近代化する中心街の中を遠賀川が流れている。

市民の憩いの場として中之島は整備され、川と親しんだり、周囲の河川敷とともにイベント活用されたりしている。飯塚市花いっぱい推進協議会やボランティアの人々が、コスモスの植栽をおこない、背景に眺める忠隈のボタ山とのマッチングにより、独特の景観がたのしめる場所となっている。

古くからある飯塚納涼花火大会は、始まりから100回近く開催され、飯塚市の伝統行事と言っても過言ではない。現在ではこの中之島を中心に5000発の花火が打ち上げられ、毎年10万人近い見物客でにぎわう。

鮭神社:嘉麻市

嘉麻市大隈にある世にも珍しい鮭神社は、読んで字のごとく鮭を祀っている神社。先述のとおり鮭が川を遡ると知られる川でも全国最南端に位置しているが、この地の人々には遡ってくる鮭が水神の使いとして信じられた。このため、祭神として境内に祀られている神々も水神とゆかりの深い。

この地域では、神の使いである鮭が豊作をもたらすのだから、それを獲って食べることはしなかった風習があった。大正年間まで捕らえた鮭を塚に埋めたという話も残っている。今でも毎年12月13日行われる「献鮭祭(けんけいさい)」では、鮭を奉納し神事を執り行っている。

千手川の甌穴群:嘉麻市

嘉麻市は遠賀川の源流の地があり、筑豊と筑後地方の境界をなす嘉穂アルプスを眺める環境にある。旧山田市、嘉穂町、碓井町、稲築町といった旧町が合併して生まれた新しい歴史を刻む市。山間の地域にある市で、「黒田武士」や近年高い評価を受ける「寒北斗」に代表される日本酒造りが盛ん。良質な米と水に恵まれた環境にある。

千手川は嘉麻市の旧碓井町内を流れる遠賀川の支流のひとつ。千手地区はかつて秋月街道の宿場町であった地で、嘉穂アルプスの一つ古処山付近の八丁峠を前にした休憩する場として人々がつどった。宿場町の面影が残る千手の街並みからややはずれた、田園地帯を流れるのが千手川で、末永橋という小さな橋の近くに甌穴群がある。

砂岩質の岩盤が悠久の年月を経て侵食を受け、球形や異形の掘り方に刳り出された自然の芸術を甌穴という。現在までに筑豊地方には2カ所確認されているうちの一つが千手川の甌穴。江戸時代の『筑前国続風土記附録』という古い文献には、上臼井村に「末永石」、「はなぐり石」などと呼ばれる奇岩があると、記述が残っている。こうした歴史的な背景と、独特の景観美を評価され、福岡県指定の天然記念物となっている。

鮎返りの甌穴:川崎町

この甌穴は、田川郡川崎町を流れる中元寺川にある。遠賀川の上流部、数ある支流のうちの一つ中元寺川は、直方市から分岐して流れる彦山川からさらに派生した川。直方市の隣町である田川郡福智町あたりで分岐し、糸田町、田川市、そして川崎町へ至る。さらに上流へ行くと添田町に至り、ここには陣屋ダムが建設され工業用、生活用の水道資源や治水目的で活用されている。

川崎町でも山間部にあり、緑豊かな景観が広がる地域に鮎返りと呼ばれる地がある。ちなみにこの付近には、室町時代の禅僧雪舟が設計した藤江氏魚楽園(国重要文化財)がある。澄み渡る大気、粛々と営みを重ねる自然との調和を求めるかのように、雪舟は九州、山口の各地に庭園を築いた。

鮎返りの甌穴は、雪舟が求めた閑静で厳かな自然環境の中にある。千手川の甌穴群と同様不整形に抉られたり、落ち込んだようなくぼみや波でも彷彿させるような岩の姿がみられる。それはまさに自然が育んだ造形美。アユが産卵期にこの川を遡ってきても、これ以上は上流へいけない。こんな古のエピソードが通称には込められているだとか。江戸時代には小笠原藩の藩主もここを訪れたという記録もある。時代や世代を超え、人々を魅了したことが伺える。

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