ふるさと筑豊の歴史

筑豊地方といえば、真っ先に炭坑というイメージが想起されることが多い。しかし、この一方ではその炭坑という巨大なイメージに隠れて、あまり日の目をみることのできなかった部分もまた多い。

ここでは知られざる筑豊をテーマに、いくつかの歴史的事実にクローズアップしてみよう。筑豊を知る人も、知らない人もぜひ知って欲しいテーマばかり。筑豊の魅力を歴史という側面から感じる望郷の旅へ、みなさんをご案内いたします。

ヤマでたのしむ海の幸 ~古遠賀湾の時代~

現在の海水面を4m下げた「古遠賀湾」イメージ
(引用:株式会社吉村建築事務所http://www.yoshimura-ao.co.jp/date/2016/05/?cat=3)

筑豊の母なる河遠賀川、今からはるか昔の8000~6000年前の縄文時代には、大きな内湾となっていた。この時期は縄文海進期として学説でも定説となり、日本全国の平野でも低地とされる現代の陸地が、海の一部となっていたことがわかっている。この時代の遠賀川流域は…続きはコチラ

筑豊王の誕生 ~弥生・古墳時代~

稲作が大陸から伝来した弥生・古墳時代、各地に王が誕生した。筑豊地方でも各平野部を中心に社会が形成され、王のもとで統治があったことがわかっている。この時代、どんな歴史的動向や文化的特徴があったのか、古代王朝に迫ってみよう。続きはコチラ

もののふの夢、筑豊戦記 ~中世・戦国時代~

武士の時代は各地で騒乱が絶えなかった。筑豊にもたくさんの山城が築かれたが、そこにはどんな物語が…続きはコチラ

焚き石の発見とひろがり ~石炭産業のはじまり~

石炭と人々の関わりは、現代の私たちが思うよりもはるかに古く、そして深い関わりがある。ここでは筑豊炭田と呼ばれる前に、筑豊地方で石炭をもとに産業振興をはかった江戸時代の実像にクローズアップしてみよう。続きはコチラ

「筑」と「豊」、​二つの国の融合~筑豊炭田の誕生~

江戸時代に確立された石炭産業は、近代化を急ぐ日本にとって大きな期待を背負うことになる。その産出地として筑豊地方は、遠賀川流域では従来からの水運を活用し、石炭産業という共通のイデオロギーのもと、これまで別々の国として歩んできた二つの地域が融合し、ひとつの地域社会を生み出した。続きはコチラ

「筑豊(ヤマ)」は今 ~筑豊三都物語~

深い緑に囲まれた山々、そして緩やかで清廉さを取り戻した遠賀川水系に囲まれた「筑豊」は、今3つの都市を中心に生活圏が形成されている。その三都とは、飯塚、直方、田川で、炭坑全盛期までに育んだ文化を基層としている。この一方、それぞれ細かなところでバラエティに富んだ特色もある。以下では、これら筑豊三都の特色を見てみよう。続きはコチラ

 

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