ローカル線鉄道の旅筑豊版5選 No.5 福北ゆたか線~直方編~

Blog 筑豊見聞録

ここで紹介するJR九州の福北ゆたか線は、福岡市の博多駅から飯塚、直方を経由し、北九州市の小倉駅までを結ぶ。ローカル線とはいえ利用客が多く、運行する列車も普通電車のほか、快速と特急もあり、他のローカル線とは一線を画している。営業距離は66.6kmに及び、通勤通学のため、あるいは福岡、北九州へのおでかけに活用している人が多い。
路線名も福岡、北九州、筑豊地方から、「福」「北」「ゆたか(豊)」と地名にちなんで命名されたが、これを知る人は少ないかもしれない。公共交通機関としては、筑豊の大動脈ともいうべき路線、その沿線にはどんなみどころがあるのだろうか。まずは直方の街から再発見してみよう。

直方駅前の散策

直方と書いて「のおがた」と読む。そこや付近に住む人たちにとっては当たり前のことでも、この読み方はちょっと難しいかもしれない。この地名、一説には〝直〟線的に伸びる干〝潟〟が続いていた時代があったことに起因するとも言われる。現代では筑豊三都の一角としても知られている。
駅周辺は再開発事業がすすむ一方で、古くからの建物や商店街が立ち並ぶ。最盛期に比べればひっそりとしてしまっているところは否めないが、それでも活気あるまちづくりを展開している。駅周辺を散策する上で注目したいのが、レトロな街並みと新ソウルフードとして最近PRしてきている「直方焼スパ」。今回はこの二つにターゲットをしぼって紹介したい。

直方レトロ レンガやタイルによるおしゃれな街並み

明治からの石炭産業の勃興により、直方の街は商工業や金融といった事業所が集まった。また、炭坑での重労働から医療へのニーズも寄せられた。この当時の面影を残す建物が、直方の街並みには存在感がある。
まず紹介したいのは、現在はートスペース谷尾、美術館として活用されているレンガ造りのモダンな建物(外装はレンガ風のタイル張り)。歴史を感じさせる風合いは、商店街の中にあってもやはり目を見張るものがある。
もともとは十七銀行直方支店として、大正2(1913)年に竣工したもので、石炭産業で潤う直方の町に金融サービスを展開するために開業した。その後福岡銀行へ吸収合併され、直方南支店として営業していたが、平成9年に支店統廃合のために閉店となった。
もう一つのモダンな建物として特筆すべきは、旧奥野医院(現在は直方谷尾美術館)である。これも大正6(1917)に建てられたもので、外観は当時流行のタイル外装の洋風建築。皮膚科として開業した奥野医院は、炭坑労働者の高まる診察ニーズに対応するものだった。
これら二つの建物は、いずれも明治屋産業株式会社社長、故谷尾欽也氏によって購入され、私設美術館として自己のコレクションを展示公開している。炭坑なき直方の街に彩りを添えるかのように。ともに経産省認定の近代化産業遺産の建物として、その価値の認定を受けている。

アートスペース谷尾(旧十七銀行直方支店)
谷尾美術館(旧奥野医院)

親しみやすく、そして奥の深いご当地グルメ直方焼スパ

直方の街並みを散策していると、ここかしこから目に入ってくるのは「直方焼スパ」ののぼり旗。直方市の公募によって近年復活したご当地グルメは、新ソウルフードとして定着しつつある。最近では、九州地方では仕出し弁当のチェーン店としてネームブランドの高いほっともっと(㈱プレナス)より、のり弁シリーズの新メニューとして「ソース焼きスパ」が登場するなど、にわかな話題も提供されている。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000027.000054093.html
その焼スパ、その旨味を伝えるにも文面では難しいので、YouTubeのコンテンツからみなさんにシェアしておきたい。

直方駅周辺(徒歩で約10分程度)で食べれる焼スパは以下のとおり
・もすけ(直方市古町7-14)
・ぐりーんぐらす(直方市16-9)
・フィガロ(直方市古町17-13)
・母恵夢(ポエム 直方市日吉町11-17)
・スナックテル(直方市古町13-30)
このほかにも焼スパをたのしめるお店がたくさんあります。
https://www.city.nogata.fukuoka.jp/kanko/_1223/_4301.html

また、実食レポもあります。

⇒http://chikuhoroman.com/2020/06/13/nogata-yakispa-mosuke-greengrass/

静けさの中に時の流れと癒しを感じる木造駅舎 筑前植木駅

直方駅より新入駅を通過した次の駅は、筑前植木駅となる。この駅舎、今となっては珍しくなってしまった平屋建ての木造駅舎で、外観や内装から推測される建築年代は明治末期から大正年間のもの。一説には大正2(1912)年とも言われ、昭和の戦前期から戦後にかけて改築や改修工事がされた可能性も指摘されている。
この地に駅が設置されたのは、明治26(1893)年で筑豊興業鉄道によるものだった。その時は「植木駅」だったらしい。九州鉄道と合併された時、熊本にあった植木駅との区別をはっきりとさせるために、「筑前植木駅」と改称された。旧国名をつけた駅名は、この駅がいちばん最初の事例となったという。石炭輸送のため、地方鉄道の整備が急ピッチで進んだ筑豊地方の歴史を感じさせるところだ。
駅舎は無人駅とはなっているものの、外観、内装ともに良好な状態で、明治から大正期の駅舎の典型例を目の当たりにできる。文化遺産としての付加価値はされていないものの、鉄筋コンクリートが当たり前となった現代で、竣工から100年程度経過している平屋の木造駅舎は貴重な存在。採銅所駅(日田彦山線)油須原駅(平成筑豊鉄道)とともに、静けさの中でこの地域の行く末を見守っているかのようである。

おわりに

ごく簡単にではあるが直方の街の散策、そして沿線のヒーリングスポット筑前植木駅を紹介しました。このほかにもまだまだ書きたい直方の街、直方市内の楽しみ方はあります。あなたの目で新しい再発見をすることもできるかもしれません。別の機会には、もっと違った角度から直方の街をアプローチしたいと思います。お気づきの点や情報提供など、今後ともよろしくお願いいたします。

コメント

  1. […] 以前の投稿で紹介福北ゆたか線、直方地域周辺をご案内しました。(ローカル線鉄道の旅筑豊版5選 No.5 福北ゆたか線~直方編~)筑豊の大動脈ともいうべきこの路線、ローカル線というよりは通勤・通学のために活用されることが多い。 […]

タイトルとURLをコピーしました