もう一つの炭坑王邸宅 旧高宮貝島邸、新名所として

Blog 筑豊見聞録
高島南緑地

福岡市に旧貝島家の邸宅  貝島家といえば、筑豊御三家(ほかに麻生家、安川家)の一角で、直方を中心として栄えた大炭坑の坑主。その創業者貝島太助の弟、嘉蔵が建てたというのが今回紹介する邸宅。

1915年に直方に建てた邸宅を、1927年に福岡市に移築したものが今、福岡市が管理するところとなっている。 その邸宅がこのたび、活用されることになった。

市は迎賓施設として訪れる人に開放し、市民の憩いの場として活用を目指しているようだ。海外からの観光客が日本文化にふれるいい機会であるとともに、炭坑の歴史や文化をさまざまな人に知ってもらえる。

その如何によっては、筑豊に訪れる人も増えることだろう。それは喜ばしいことに間違いはない。 しかし、この一方で炭坑社会が生み出した強制労働、人権侵害という側面がなおざりにされてしまうのではないか。そんな危惧を感じるのは筆者だけだろうか?

炭坑が華やいでいた頃、人権擁護などという認識は人々に薄かった。現代のように差別に対し、向き合い助け合いといった風潮とは無縁といっても過言ではない。 5・60年前までは当たり前のようにあった差別、人々に“弱いものいじめ”をする弱い心がある限り、差別に関する事実は伝えつづけなければいけない。

炭坑華やいだと言えば聞こえはいいが、この一方で悲惨な体験や苦しい境遇に苛まれた人々の思いもしっかりと伝えるべき。それが私達にとって教訓となり、明日への指針となる。 福岡市で貝島邸が“迎賓館”的な扱いをされるのはいいが、「いいとこ取り」はしてもらいたくない。

むしろ、福岡市でそのような活用をしていくのなら、筑豊では炭坑での事実をしっかりと次世代へ伝える役割を担っていく必要がある。

近代の炭鉱業隆盛期に「筑豊御三家」の一つに数えられた貝島家が所有していた福岡市南区高宮の邸宅「旧貝島邸」について、現在管理する市は、迎施設などの観光資源として整備する方針を固めた。建物の文化的価値を残したまま活用できるよう、建築基準法の規制を緩和するための条例案を年度内に議会に提出。邸宅と周辺緑地の2017年度一般公開を目指す。

旧貝島郎は、貝島炭礦創業者の貝島太助の弟嘉蔵が1915年に福岡県直方市に建て、1927年に現在地に移築した大規模な和風邸宅。一部の居室は老朽化のため解体されたが、応接間や本座敷、茶室などが残っており、現存する平屋は面積計約600平米。壁面が少なく開放的で、部屋ごとに書院造りや数寄屋造りなど意匠が凝らしてある。

緑地を含む敷地約1万9千平方メートルは、同じ炭鉱経営者の邸宅として知られる同県飯塚市の旧伊藤伝右衛門邸の敷地 (約7500平方必)の約2・5倍に上る。

福岡市によると、貝島家は30年ごろ、広大な敷地の維持管理が困難になったことから売却方針を市側に伝えた。市は周辺の環境維持のため、敷地を都市計画法に基づく特別緑地保全地区に指定。2012年度までに総額3億1700万円で用地を買い上げた。

建物は貝島家が無償で寄贈した。用地買収を受け、市は活用策を検討。農重な近代の和風建築を生かして国内外から福岡を訪れる人をもてなす場とするほか、緑地は散策路も整備するなど公園化し、市民憩いの場として開放する方針を決めた。5年度、整備や運営を担う民間事業者を公募する計画。今年で築100年となる。

旧貝島邸は、建築基準法施行 (1950年)以前の建物のため、改修には耐震補強も必要となり、現在の外観を維持することも困難になる。このため市は、文化的価値がある建物を対象に、同法の適用を除外する新たな条例を制定し、建物の安全性を確認した上で貝島邸の風情を損なわずに整備する考えだ。

福間伸一文 西日本新聞2015年1月14日付け社会面記事
貝島嘉蔵

さて、旧高宮貝島邸の現在はどのような状況にあるのだろうか。気になるところを調べてみた。

東京の一般企業の参入によって、リノベーションが進められているようです。(⇒高島南緑地

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