2021年上野焼 春の窯開き プレインタビュー 上野焼宗家 渡窯 渡 仁さんに聞く

Blog 筑豊見聞録

昨年はコロナ禍の影響によって、毎年恒例の上野焼窯開きも中止になってしまい、残念だった人も多いのではないでしょうか。

緊急事態宣言解除を受け、今年はという思いでいる上野焼の窯元の人々から、恒例のイベントに先立ちこれまでのことや今感じていることを、上野焼宗家のひとつである渡窯の渡 仁さんに聞いてみました。

窯開きを前にして

2021年上野焼春の窯開きを前にして(渡窯 渡 仁さんへインタビュー)

今年の春の窯開きに対する意気込み、思いについて

 去年は残念ながら中止となってしまいましたが、楽しみにしていただいていたお客様も来れなくて…
ちょうど4月は自粛期間でしたから。

 私たちも窯開きがなかったからと言って何もしなかったわけではなくて

 その間も作品を作り続けていましたし

 いろいろ考えさせられましたね。

このようなご時世、現代にあって伝統工芸、焼き物は今の人々に対してどのように関わっていったらいいのか、そのあたり窯元のみなさんはどのようにお考えですか。

 日々目まぐるしく変わっていく時代になったんですけど、このコロナで一度立ち止まって…

 自粛開けの5月、6月は、このような山里にポツポツとお客さんが増えたような印象がありますね。

 逆にこういった(伝統工芸に)関心が持たれた方々が多くなったのではと思わされました。

 久しぶりに時間ができたので、自分を見つめなおすなど、家食など外食ができないならこういった食器を使って。
 
 器もいいのを使ってみようだとか、去年の状況をみていてそんな人たちの思いを感じましたね。

 もともと流行を追うとかいうことをしていなかったんですが、(そんな経緯から)落ち着いた作品を作っていかないといけないなという気持ちにはさせられました。

 その一方で、(こうした自粛期間があらたな作品を作っていく上で)充電期間となっているのかなと思ったりもしました。 
 
 まだ(自粛期間は)終わってはいないですけれど。

 不思議と10年ぶりに来てみましたというお客さんもいて。

上野焼宗家の一人、渡 仁さんのチャレンジ

最近ごだわっているトレンド、作風やこんなものを作りたいという思いや、こんなもので楽しんでもらいたいというところがあったら教えてもらえませんか。

 父が6・7年前に他界しまして、その父は焼き物に絵を入れるのがうまかったんですけれど、

 私は全く絵には取り組んでいなかったんですが、今年はそれにも取り組んでいこうかなと。

 父のスケッチブックを工房でみつけて

 それをみながら「あ、いいな~」と思って取り組み始めました。こだわりというほどではありませんが…

 今まで絵を書くのは敬遠していたんですけど、下手でもいいので始めてみようかなと。続けていればなんとかなるだろうと。

 何かチャレンジしていかないと、進んでいかないので。

今年は絵をモチーフに作陶へ!

これからの上野焼について

上野焼の宗家の渡窯、渡さんは、21世紀の上野焼のスタイルを模索していきたいなと思っていますか。社会とのかかわりの中でのことも含めて

全上野焼の窯元さんも含め、今こそ原点回帰が必要なんじゃないかなと感じます。

朝鮮半島から連れてこられた、そして日本では茶道のための器を作らされたというか

上野の場合は細川藩でしたので、細川忠興公、忠利公ともに焼き物が好きで造詣が深かったようで

そのお殿様が直接かかわったという部分もあります。

たとえば

ある時英彦山にマツタケ狩りに行くので、その帰りに上野に立ち寄ると伝え、

それまでに一窯炊いておけと命じ、陶工もその場で待機させておいた。

忠興公が上野に来てから窯出しするんですけれど、

いいのが出てきたら、これは誰が作ったのかと問いだすことで、

陶工をピックアップするんですね。朝鮮半島ではありえないことですよ。

その当時、身分としては決して高くなく、むしろ低いとされていた陶工ですから、

いいものをピックアップして、菜園場窯という小倉の城下に近いところへ

たびたび呼び出しては作陶をさせていたということでした。

そこでもしかしたら忠興公も一緒になって作ったのかもしれませんけど、

そうなると(当時の陶工たちも)俄然やる気が出ますよね。

やっぱり、当時のトップですから。

初期の上野焼の色も強いですし、茶陶色(茶の湯の影響)も濃いですし、やっぱりいいものたくさん生まれてますから。

そうして時代は下っていくんですけど、武士の時代からだんだん町人の時代に移り変わり、

町人がお金を持つようになって、武士のお抱え窯ではありましたが、町人にも広がっていく。

そうなってくると少し、(それまでの格式高い茶陶の色合いが)ゆるくなったように思えます。今考えると。

文化文政の頃(1800年ごろ、町人文化が花開いた)、日本の食事情も変わったみたいですね。

江戸時代初期は1日2食だったのが、江戸中期ごろから三食になって、

初期のころは質素だった食事が、19世紀に入っておかずが一・二品増えて、そうなると食器が必要になる

茶陶から民芸とまでいきませんけど、そういったものまで手掛けるようになった。

そうやって時代がながれて昭和になると、高度成長期になりみなさんお金持ちになりますよね。

毎年毎年給料が増えるようになって、上野もいっきに窯元が増えるようになりました。

その時もやっぱり多くの人々が手にするようになりました。

今とは時代が違いますが、こうした今その原点を見直すべきなんじゃないかと。そんな思いがしてなりません。

渡 仁さんの言っている上野焼の「原点回帰」とは、どんなものなのでしょうか。こちらをご参考にどうぞ⇒侘び寂びの世界からものづくり、芸術へ 古上野焼

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