ふるさと筑豊の歴史

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Blog 筑豊見聞録

炭坑跡からのメッセージ 製鉄所(日鉄)二瀬出張所跡から

大小300以上の炭坑(ヤマ)を数えた筑豊炭田が、なぜこれほどまでに発展したのか。それは北九州市の八幡製鉄所が、1901年に操業したことが大きい。「鉄は国家なり」というスローガンのもと、近代化を目指した日本。それは製鉄によるところが大きいが、それは筑豊の炭坑がなければ到底実現しなかった歴史かもしれない。
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山伏たちの聖地英彦山 修験道の「峰入り」と今

山伏たちは深い山に入り、厳しい修行のもと悟りを得ようとした修験道、その聖地で日本三大霊場と言われる英彦山は、今でも多くの人々の信仰を集めている。宝満山との間に峰入りのルートとして古くから修験者の行き来が盛んだった。それはやや形を変え、トレッキングやパワースポット巡りといった人々のライフスタイルとして受け入れられている。ここでは、この峰入りのおおまかなルートを紹介したい。
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異色の蒸気機関車 アルコ22・23号の軌跡

静態保存されているアルコ22・23号は、ともに貝島炭礦で活躍した縁の下の力持ち。そんな2両のアルコを紹介します。
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上野の里、陶芸の里へ 上野焼誕生エピソード

福岡を代表する焼き物として知られる上野焼、高取焼とともに、国の伝統的工芸品としての歴史的価値が評価されています。ここでは上野焼の誕生について、お話をまとめておきます。
ふるさと筑豊の歴史

侘び寂びの世界からものづくり、芸術へ 古上野焼

400年前に窯開きした上野焼、そのもっとも古いものと言われるもののなかから、当時の侘び寂び、茶道へと人々が馳せた思いにふれてみたいと思います。初期の頃の上野焼から今に受け継がれる伝統と、この頃にしか見られないところを感じてくれれば幸いです。
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あるある神話 田川の地名由来

日本人なら何気なしにありそうだなと感じる「田川」という地名、この地名に秘められた話を紐解くと意外なことに気づきます。ここでは田川という地名から、昔話に想いを馳せ、この地を見直してもらう機会にしたい。
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岩石城、戦国時代の山城の栄枯盛衰

彦山川上流、添田町と赤村の境にそびえる岩石山(標高454m)山頂を中心に、全長500mにも及ぶ巨大な城郭・岩石城があります。(がんじゃくと読める人は珍しいかも⁉︎)ここでは豊前一の堅城ともいわれた山城の歴史を、ちょっとだけ詳しくみてみましょう。
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雪舟悟りの境地 筑豊で造った庭園に込められたメッセージ

ここで紹介する庭園の数々は、室町時代の禅僧として中学・高校の日本史の教科書には必ずといってもいいくらい登場する人物、雪舟が造園したというもの。福岡の山間にあるこの筑豊に、いくつかの庭園を自ら造営、もしくは設計したという。雪舟が造った庭園から何を感じ、そしてどんな癒しやメッセージがあるのだろうか。
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母里太兵衛、後藤又兵衛が守りし難攻不落の益富城

嘉麻市にある城郭、益富城は豊臣秀吉が九州に遠征してきた際に攻城戦がおこなわれた場所として知られています。このお城、私たちが知るよりはるかに大規模な城郭だったことが最近わかりました。この項では益富城の知られざる実像に迫ってみましょう。
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黒田節のモデル母里太兵衛 筑豊で受け継がる伝説

黒田節、一度は耳にしたという人も多いのではないでしょうか?戦国時代きっての猛将、福島正則と​大酒呑みを掛け合いした母里太兵衛をモデルとした伝説的な民謡、実は筑豊地方ともゆかりが深い。ここではそのゆかりにクローズアップしてみましょう。
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