ふるさと筑豊の歴史

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Blog 筑豊見聞録

炭坑を知らない世代に受け継がれていくボタ山

ボタ山、50年ほど前のことなら、誰しも一度は耳にしたかもしれない。しかし、今日本全国でボタ山と言われても何のことかと思う人の方が圧倒的に多いと思う。しかし、ここ筑豊では子どもの心にもしっかりと刻み込まれる炭坑の歴史がある。それはボタ山に象徴されるが、そこにはどんなものが秘められているのだろう??
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キュウロクと呼ばれたSL 鉄道と筑豊の深い関わり

かつて日本国内を縦横無尽に疾駆していたSL。今では観光等に活用されている一方で、管理上の問題となっているものもある。筑豊地方にも静態保存された状機関車は他地域に比べて多いかもしれない。炭坑の発展に大きく寄与したSLたちの知られざるエピソードがあまたあるうち、9600型と言われるものの最後の物語をここで紹介したい。
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もう一つの炭坑王邸宅 旧高宮貝島邸、新名所として

福岡市にある旧高宮貝島邸、このたびリノベーションを通じて、人々の憩いの場を提供してくれる新名所となるようだ。この記事では、過去の新聞記事と現在までの経過をみてみたい。
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国が認めた文化的価値 長い歴史が育んだ寒北斗酒造の三酒蔵

嘉麻市の大隈地区は古くからの宿場町であり、日本酒造りの盛んなところとしても知られている。遠賀川の源流に近い清廉な環境のもとで作られるお酒は、日本酒愛好家の評判も高い。その一つ寒北斗酒造が所有する酒蔵(店舗兼主屋、安政の蔵、仕込蔵)は、国登録文化財でもあり長い歴史と伝統による産物としての評価がある。ここではその魅力にふれてみたい。
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古墳にみる「筑豊」~遠賀川流域装飾古墳同時公開に先立ち~

毎年春と秋の年二回、筑豊地方の母なる川遠賀川の流域にある古墳を一斉に公開(ボランティアや学芸員による解説も)がおこなわれている。今年の春は4月17日(土)・18日(日)の2日間に予定されている。ご興味のある方はこちらをご参照の上、有意義な見学となるよう、独自視点からの簡単な解説をしてみたい。
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糸田町地名の由来 その秘密は「泌泉(たぎり)」にあり

田川市と飯塚市に挟まれるように位置している糸田町、深い緑と豊かな平野部に囲まれたこの町の地名は、意外なところから生まれた。そのエピソードを紹介します。
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キュウロクと呼ばれたSL 鉄道の街直方を物語る

根強い人気のあるSL、蒸気機関車はかつて日本全国どこでもみられていた。飯塚、田川を経由して直方に集まった石炭列車は、ここから若松港を目指して疾駆したのももう半世紀以上前の話となる。このため直方は鉄道の街とも言われた。そして今、その歴史を語り継ごうとしている熱き人たちがここ直方にいる。その人々の胸の内にふれてみたい。
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飯塚市民の憩いの場 桜の名所 勝盛公園

飯塚市民のみならず、筑豊各地から憩いを求めて集まる場所勝盛公園。そこは炭坑時代から育まれてきました。桜の名所としても有名なこの公園、ちょっとだけくわしく知ってみませんか?
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短命に終わった東洋一の竪坑 伊加利炭坑

田川市伊加利の地に残る煙突、コンクリートの小さな建物、何も知らなければ単なる廃墟。しかし、その由来を知ると私たちの知らない伊加利坑の姿が見えてきます。炭坑遺産の一部から、筑豊炭田の栄光にふれてみませんか?
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炭坑跡からのメッセージ 製鉄所(日鉄)二瀬出張所跡から

大小300以上の炭坑(ヤマ)を数えた筑豊炭田が、なぜこれほどまでに発展したのか。それは北九州市の八幡製鉄所が、1901年に操業したことが大きい。「鉄は国家なり」というスローガンのもと、近代化を目指した日本。それは製鉄によるところが大きいが、それは筑豊の炭坑がなければ到底実現しなかった歴史かもしれない。
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