山伏たちの聖地英彦山 修験道の「峰入り」と今

Blog 筑豊見聞録
画像引用:英彦山からの便り

筑豊地方で「ヤマ」と言えば、炭坑がイメージされることが多い。

しかし、筑豊地方のもう一つの特徴的なヤマは他にもある。その一つが今回とりあげる修験者が修行した山々。英彦山峰入りと言われる、古くは修行、今では山登りの愛好家をはじめ修験の歴史に興味を持つ人、神社宮司に関係する人たちがいろいろな形で関わっている。

こう聞いて真っ先にイメージされるのが英彦山。言わずと知れた日本三大修験道の霊場のひとつ。山伏達が荒業し、集い、そしてさながら要塞のように街を形成した聖地である。

その山伏達は、春、夏、秋と英彦山から修行の一環として、周辺の山々を行き来した。今回はその「峰入り」について紹介したい。

画像引用:夫婦と山歩き

ちょうどこの季節、江戸時代の山伏達は峰入りと称して鍛錬した。「春峰」と呼ばれ行脚したのは、英彦山を出発して岳滅鬼山、釈迦ヶ岳、大日ヶ岳などといった険しい山々を行き、嘉麻方面へ。馬見岳、屏山、古処山といったこれまた険しい山々を通り、冷水峠を越えて宝満山へと至るルート。これを折り返して英彦山へと戻るのが「春峰」。「夏峰」もこれとほぼ同じで、「秋峰」は英彦山と福智町の福智山を往復するルートであった。

「春峰」の行程は約135kmに及び、約50日間かけて行き来した。その始まりは鎌倉時代とも言われる。山伏達は途中断崖絶壁の地で修行を積み、または断食もしたという。このため馬見岳や屏山、古処山、福智山周辺の所々には、梵字岩や石窟などが少なからずある。

例えば福智山の麓には⇒山伏たちの息吹を感じ 岩屋権現自然公園

春から秋にかけての荒業に耐えうるべく、山伏達のタンパク源となったのはイノシシやシカなどの小動物の肉。日々の荒業による疲労回復には最適であったらしく、重宝されていたようである。

このような歴史的な背景があってか、筑豊地方では未だにイノシシやシカの肉を食する話を聞く。現代でも鳥獣駆除のためのワナにかかったものを、家族、親戚、友人知人の間でお裾分けを通して人々に食されている。

山伏達が聖地として集まった聖地英彦山、そして嘉麻市の名峰、馬見岳、屏山、古処山などの地が修行の地とされていなければ、イノシシやシカなどを食する文化が筑豊に残っていなかったかもしれない。ジビエ料理という言い方や、牡丹鍋などにその軌跡が残っている。

筑豊の歴史と文化は、このような「ヤマ」によって生み出された。筑豊の「ヤマ」は、まだまだ奥が深い。このような聖地を含めた「ヤマ」、里山は見方を変えればたくさんの資源にも恵まれたものと気づく。

こうしたところに惹かれ、少なからず人々が訪れる筑豊の「ヤマ」には、峰入りという歴史を刻みつつその面影を今に残しながら、一般的な人々にもトレッキングコースとして活用されている。

里山資本主義という言葉もどこかで耳にした人もいるかもしれないが、これからは筑豊の「ヤマ」が里山として豊かに暮らす、資本として活用されることを願うばかり。

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