6つ揃っての焼き菓子パッケージはなかなかの存在感。筑豊ではかつて「黒ダイヤ」と呼ばれた石炭をイメージし、現代的な焼き菓子と生菓子があります。
ここでは、地域の特色を生かした新たな魅力づくり、地域づくりの中で生まれた「KURO SELECTION」にクローズアップしたいと思います。
KURO SELECTIONの誕生
石炭の黒を新名物に
かつて筑豊地方は、エネルギー源として重宝された石炭の一大生産地でした。
大小の炭鉱が300超となり、地域が黒い煙とボタ山で覆われるようになるほど、炭鉱マンをはじめ石炭関係の人々、関連する大型の建物、構造物がひしめいていました。
言い換えれば、石炭に街が一色に染められていた。そんな時代がありました。
1960年代初頭から始まったエネルギー革命、それは明治維新から近代国家へと発展する日本の原動力として長らく君臨してきた石炭から、石油へとシフトすること。大きな大転換となりました。
国策により日本各地の炭鉱は閉山を余儀なくされ、街を覆い尽くすように乱立していた石炭産業の構造物や建物は姿を消し、残されたのはわずかとなりました。
その象徴的なものが、忠隈のボタ山(飯塚市)や田川六坑のボタ山(田川市)、そして筑豊炭田遺跡群です。
石炭産業が筑豊に暮らす人々に与えたインパクトは鮮烈で、今でも語り継がれる伝説ともなっています。炭鉱なき今もそれは人々の心に生きているかのようです。
こうして石炭の黒をイメージする新名物、というユニークな発想の発端となりました。
筑豊とスイーツの関係
江戸時代は鎖国体制という幕府の統制のもと、一定の国々と一部の地域に限られた交易しかできなかったのはよく知られています。
その限られた貿易港である長崎から九州の玄関口である小倉・門司までの街道は、長崎街道と呼ばれ異国情緒を感じさせる文物の往来も少なくなかったといいます。
この時代の主な輸入品として砂糖があり、上方や江戸を目指し筑豊を経由した経緯がありました。このため、長崎街道は別名シュガーロードとも呼ばれました。
このような歴史的背景により、この地では甘味のお菓子が創作されてきました。それらは石炭ともゆかりの深いものもあります。⇨筑豊銘菓エピソード
石炭という20世紀までの基幹産業と、シュガーロードという二つの筑豊地方の歴史が、21世紀の新しい時代の新名物の創造に結びついたのがKURO SELECTIONです。
新名物飯塚みやげ
お皿に盛り付け直せば、テーブルを囲む人の間で会話が弾みそうな演出となります。
6人のパテシェ、菓子職人がスイーツの中に詰め込んだ現代の筑豊が味わえます。全体的にほろ苦さの中にアクセントある甘味で仕上げられた品々、年配の方にもオススメです。
艶ですら感じられる黒の質感は、見た目もインパクトがあり、創作された背景を話のダシにすると人とのコミュニケーションに花を添えます。
焼き菓子のほか、生菓子もラインナップされていますが、こちらは予約販売、あるいはイベント等での販売に限定されているようです。レア感ある生菓子はまた別の機会にレポートしますね。
お買い求めの方は、KURO SELECTION 公式HPをご覧ください。
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