大内田神楽には、鬼やその他の面を被って舞う演目があります。その内容は日本神話にもとづいたもので、テーマは二つ、「天孫降臨」の場面と「岩戸」に代表される天照大御神(アマテラスオオミカミ)と他の神々とのやり取りです。
今回は、いわゆる鬼の面を被って舞を奉納する「奉納神楽」についてお話ししましょう。ちなみに、前回のその2で話した直面(お面を被らない)の神楽を「式神楽」と言って区別することがあります。
「式神楽」とは、その場を清め神様を天上から招き入れるための舞であるのに対し、「奉納神楽」はそれまでの感謝を込めて舞を奉納するという役割があるとされます。
幣切り:「しめきり」・「へいきり」
幣切りから前御神先、舞上御神先までが一連の物語です。その物語とは、日本神話の天孫降臨をテーマとしています。
「幣」という言葉を「しめ」と読みますが、しめ縄の「しめ」をあらわすともいわれます。しめ縄を張った場所に神様をお迎えする場として、結界をつくりだしているとは先程お話しました。結界を示すしめ縄を切る場面が「幣切り」という演目です。
天孫降臨での神様の使いが地上に降りてくる際お迎えする場面。神主が神降ろしの舞をしているところで、鬼(実は御神先:天の使いの神様)が仰々しくあらわれてきます。奇怪な容貌の鬼に対し、警戒した神主は結界内に入れようとしません。
入れないことであたりを見回しながら、鬼はキョロキョロとしたしぐさをします。これに安心した神主は、結界から立ち去ります。神主が立ち去ったのを見て、鬼が思い切って東からしめ縄にぶち当たり、すべてのしめ縄を切ってしまいます。
前御神先:「まえみさき」
しめ縄を切って鬼が結界内に入ったことに驚いた神主は、この場から鬼を退散させようと立ちはだかります。取っ組み合ったり、御幣で鬼を打ったりと戦う様子を演出します。
しばらく両者の戦いは続きますが、疲れた鬼が一休みすると見せかけて、場外に飛び出し、見物者を巻き込み大暴れしたりします。子どもなどを抱いて、くるくると暴れ回る様子は見物者の笑いを誘いながらも、神様のご加護をあずかる縁起物として微笑ましい場面となります。
舞上御神先:「まいあげみさき」
神主との戦いに疲れきった鬼が、しかん杖を置いて以下のような問答を神主と交わします。
神主「今日のめでたい祭りの場に怪しきものを迎えることは許されない。」
鬼(御神先)「確かに怪しい形相だが、決して悪者ではない。自分は悪いものには罰を与え、善なるものには幸せを与える神である。」
こうして鬼が実は天から派遣された神(猿田彦:道案内の神様)であることに気づき、しかん杖を神主に渡しておしまいとなります。
綱御先前段、後段:「つなみさきぜんだん、こうだん」
綱持ち二名、神主一名、鬼一名で舞い、その内容は(幣切り)、(前御神先)、(舞上御神先)とほぼ同じですが、綱を巡る攻防が特徴となるのが(綱御先)です。
この綱をめぐって鬼と神主、綱持ちが戦い、鬼をしめ縄で捕らえる攻防を繰り広げます。
時に鬼は客席に乱れ入って、子どもを抱きかかえ暴れたり、見学者にいたずらしたりとひょうきんな場面もみられます。
盆神楽:「ぼんかぐら」
そもそもは一年の豊作を示す意味で、神様のおかげで得られた今年の豊作に対する感謝を表すものが盆神楽です。
これを奉じるという意味で、その年一年もまた豊作であるようにと、祈願するために神楽を奉納します。この演目ではお面を被りません。
二枚の盆に盛られた洗米は神様に奉じるためのもののため、絶対落とすことはできません。ここは舞手の腕のみせどころです。
採物に幣と扇子、襷(たすき)をかけて四方を拝礼した後、洗米を盛った二枚の盆を手に舞います。
時にゆるやかに、時に“きりきり舞い”とも言うべく激しく動き、一粒も洗米を落とさずに舞い上げます。豊作への祈願と感謝を込めた舞は、舞手の技術をつくすもので圧巻です。
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