D60形46号機は今、子どもたちや家族連れが遊ぶ飯塚市の勝盛公園にたたずむ。
「そばに子どもたちの姿があるのを見ると、いつまでもここに残し、後世に伝えていかなければ、という気持ちになる」。
元国鉄職員で九州鉄道OB会飯塚支部事務長の吉田信夫さん(71)はしみじみと話す。
保存を働きかけたのは飯塚青年会議所(JC)。創立30周年記念事業として1973年から取り組み、市民や行政、各種団体に活動の輪を広げて号機が余生を過ごす場所をしつらえた。 設置完了は4年6月だった。
同機のそばの「設置記念碑」に経緯が刻まれる。
「明治以降 筑豊の歴史は石炭に象徴される。その石炭輸送の主役を担ったのがDB蒸気機関車であった」
「このSLを永久保存することにより子供達が郷土の発展の歴史を学び 郷土愛を培うことができればとの思いをこめて市民の熱心な賛意のもとここに設置をみることができました」
当時の飯塚JC広報委員長の竹下茂木さん(76)は「SLのいる風景が当たり前だった。 家の裏口を開けると、住友忠隈炭鉱のボタ山が見え、トロッコが上がったり、降りたりしていた」
と懐かしむ。そのボタ山そばの飯塚駅が初任地だった吉田さんも「直方から、原田から、上山田から集まった」と多くのSLが群れていた光景を脳裏に刻む。
国内で最初の鉄道が開業した日にちなむ2018年10月4日の鉄道記念日に、飯塚JCが「D60から、まちのことを知る」と銘打ち、勝盛公園でイベントを開いた。
公募で選んだ親子とともに46号機を化粧直し。 毎年この日にメンテナンスを手掛けてきたOB会飯塚支部に感謝状を贈った。
イベントの一環で、同機から汽笛が響いた。本来は蒸気を噴出させるところを、エアコンプレッサーで圧縮空気を送って音を鳴らす仕組み。
吉田さんは「大きくて、いい音だった。心に響き、ジーンと来た。この地で鉄道に関わってきた多くの人たちを供養する音にも聞こえた。 まだまだ頑張らないと」。
地元に唯一姿を残すSLへの思いを込めた。
西日本新聞2021年3月21日付朝刊筑豊版より
炭坑が筑豊から姿を消して約半世紀、その事実も知らない世代も増えてきた。
それと歩調を合わせるように、環境への配慮からSL達も役目を終え引退。ディーゼル車や電気による推進の電車へとバトンタッチした。
産業革命でも象徴の一つに数えられた蒸気機関車SLは、社会の発展、経済的繁栄に大きな貢献をしたものの、人々の住環境に環境悪化を招いた。
ここで人々に大きな気づきを与え、住み良い環境のために鉄道技術のさらなる進歩を生み出し、今の私達の暮らしと環境を導き出した。
こう考えるとSLの活躍がなければ、今の私達の暮らしと環境はもたらすことがなかったかもしれない。
鉄道の電化がやや遅れた筑豊地方は、SL達にとって最後の奉公の地。皮肉にも日本国内の地方鉄道でも早い段階に開業し、SLが颯爽と走ったこの地方で役目を終えた。
このためか、筑豊にはあちこちにSLの姿がある。この勇姿を次の世代にも語り継ぎたい人もいる。地域の歴史として守っていける事を祈りつつ。
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