古墳にみる「筑豊」~遠賀川流域装飾古墳同時公開に先立ち~

Blog 筑豊見聞録

毎年春と秋の年二回、筑豊地方の母なる川遠賀川の流域にある古墳を一斉に公開(ボランティアや学芸員による解説も)がおこなわれている。知る人ぞ知るイベントともいえるが、近年は一般の愛好家も訪れることで知られるようになった。今年の春は4月17日(土)・18日(日)の2日間に予定されている。

王塚装飾古墳の壁画(国特別史跡)

この機会に公開となるのは、竹原古墳(宮若市、国史跡)、王塚装飾古墳(桂川町、国特別史跡)をはじめとする前方後円墳と、川島古墳(飯塚市)、夏吉古墳群(田川市)、伊方古墳(福智町)、戸山原古墳(川崎町)などの円墳など。

装飾古墳といえば九州では熊本県や筑後川流域に多いことで知られる。筑豊にもこのような古墳はいくつかあり、竹原古墳と王塚古墳、川島古墳などがあげられる。このうち竹原古墳と王塚古墳は比較的大きな前方後円墳で、副葬品も豪壮なことから、地域の首長が埋葬されたと考えられる見解がある。

一方円墳は前方後円墳に比べ、やや規模が小さい。前方後円墳は円墳等その他の形の古墳を造るより多くの労働力が必要になる。このため統率力をもった首長が埋葬されるとされることが多い。副葬品も前方後円墳から発見されるものの方が、優雅で豪壮なものという傾向がある。

竹原装飾古墳壁画

筑豊の中でこのことを考えると、前方後円墳は嘉飯桂、直鞍地域に前方後円墳が目に付く一方で、田川地域には円墳が多く前方後円墳が希少な傾向にある。無論これは大雑把に見たなかでの傾向だが、これに歩調を合わせるかのように、英彦山川流域には円墳のほか横穴墓群が多い傾向にある。先日国の史跡となった城山横穴群はその典型。

こうして考えてみると、古墳時代にはすでに「筑」の国と「豊」の国の間で葬送儀礼に違いがあるようにみえてくる。筑前と豊前という旧国単位のあり方は、古代西暦700年ごろには文献にみられるが、それより以前の古墳時代にも文化的特長の違いにより伺える。

このような視点で今回の古墳同時公開を見学してみると、歴史的側面のひとつに迫るようで興味深い。ぜひ現地へ足を運んで、古代の「筑」と「豊」を体感していただければ幸いです。
(遠賀川流域古墳同時公開の詳細はこちら)
http://www.town.keisen.fukuoka.jp/ouzuka/contents/event/onga.html

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