筑豊炭田の炭鉱跡もう一つの象徴、旧三井田川六坑ボタ山

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三井田川六坑ボタ山

ボタ山、それはかつて炭坑内から石炭を採掘する際に出る捨石が、長い年月をかけて積み上げられた人工の山。筑豊富士として親しまれる忠隈のボタ山は有名だが、他には残っていないのだろうか…ここでは知られざるもう一つのボタ山を紹介したい。

旧三井田川鉱業所の数少ない遺産

飯塚市の住友忠隈炭鉱ボタ山とともに、筑豊炭田の象徴としてありし日の炭鉱の面影を現在に伝えているのが、田川市夏吉にそびえる三井田川炭鉱六坑のボタ山。

高さ60mほどの3つの小さな山は、現在も存在感を印象づける。しかし、これがボタ山と知らなければ、単に通り過ぎてしまうだけかもしれない。

三井田川六坑は、二本煙突と伊田竪坑櫓(ともに国指定史跡筑豊炭田遺跡群)で名高い三井田川鉱業所が、1945年(昭和20)2月に開鑿を始め、1948年7月に選炭を開始した。

田川市伊田を中心に炭都田川は発展し、数々の坑口や選炭場、積込場所とそれに出入りする鉄道の引込線、そしてボタ山、その周辺には炭坑で働く人々の生活域を形成した。これに関わる建築、土木構造物はいくつあったのか、把握しきれないほど乱立していた。

田川市石炭・歴史博物館二階バルコニーからは、香春岳の裾野に広がる六坑ボタ山を眺めることができる。そこからの光景は、閑静な都市景観となり、往時から比べれば様変わりするも六坑ボタ山だけは変わっていないのかもしれない。

国道201号線沿いにそびえる三井田川6坑ボタ山

炭都の歴史を後世へ

1964年(昭和39)の閉山からすでに40年余の年月を経て、鋭角に尖っていたボタ山も風雨にさらされてしだいに頂上部が丸くなり、かつての山肌は草木によって覆われてしまった。

炭鉱を知らない人には、地下から掘り出されたボタによって出来上がった山とはわかりづらくなっている。

筑豊炭田全盛期には約300を数えたボタ山も、埋め立てや道路の路盤材料に使用されたり、整地されて工場団地、住宅団地、グラウンドなどに生まれ変わっている。

地名から夏吉坑ボタ山とも呼ばれるこのボタ山は、奇跡的に残った数少ないものの一つ。気づかれないように人々を見守っているようなたたずまいで、これからも残っていくのでしょうか…

国指定史跡となった筑豊炭田遺跡群とともに、小さくとも脚光を浴びることがあればと願う今日この頃です。

別な角度からみた三井田川6坑ボタ山

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