鉄道のまち直方を次世代に向け 旧直方駅舎の車寄せ復元お披露目

Blog 筑豊見聞録
今は見ることができない新旧直方駅(手前が旧駅舎)
西日本新聞朝刊(6月5日付)筑豊版より

数年前、旧直方駅舎の解体が決定しこれに対して保存運動も起きたが、新駅舎の完成と駅前周辺の再開発となった今、あらためて旧駅舎の車寄せ部分が復元されお披露目となった。かつては「鉄道のまち直方」とも言われたその歴史を、次の世代に語り継ぐための復元と言われているが、その課題はどんなところにあるのだろうか。

鉄道のまち直方 その由縁

炭坑が閉山する前、筑豊各地より運ばれてくる石炭が、ここ直方に集結し、さらに若松港へ向けて長大な貨車が行き来をしていた。それもそのはず、さらに上流部に位置する飯塚や田川の各炭坑から運ばれてくる石炭は、ここ直方を経由し、折尾、若松へと目指していた。それはちょうど遠賀川の流路をたどるように鉄路が敷設され、引込線が各炭坑へと網の目のように張り巡らされた。

日本でも指折り数える産炭量を誇った筑豊炭田、それは都市の形成にも大きな影響を与え、直方駅機関区は国内でも屈指の規模を誇る時があった。このため、直方市民の約25%が鉄道関係の職員を占めていたとも言われ、石炭とともに鉄道のまちと言われた由縁がここにある。

明治期の直方駅舎
在りし日の直方機関区

旧駅舎の車寄せ復元とこれから

旧駅舎の解体が決定した後、一部市民が解体反対と保存を求めて運動した経緯もあり、市は事業費4,350万円を負担して、今回のお披露目となった。その出来高と事業費の費用対効果は別として、当時反対運動を展開していた関係者は複雑な思いかもしれない。とはいえモニュメントとして、新時代を迎えようとしている直方駅前の新名所が誕生した。喜ばしいニュースとした受け止めるべきだろう。

今後の課題はやはり、この新名所が忘れ去られないように、人々の記憶に留められるだけの取組を続けていくことが問われる。人々の税金を投入しての復元工事、先ほどの事業費は妥当だったのかと疑問を持たれる声も耳にする。筑豊に住み暮らす私たちは、「鉄道のまち直方」を一人でも多くの人々に記憶しておくべきかもしれない。

旧国鉄バス(汽車倶楽部所有)
静態保存された蒸気機関車(汽車倶楽部)

記憶に留めておくため、一つ情報提供をしたい。

直方市にあるNPO法人汽車倶楽部では、市と連携を深めながら、市内11の小学校に対し「石炭と鉄道のまち直方」というテーマで授業カリキュラム化している。市内にある石炭記念館とともに、地域の歴史にふれる機会を設けている。この間の移動の際には旧国鉄バスも活用するなど、取組はユニークな点が多い。

汽車倶楽部では、蒸気機関車の静態保存の見学説明、鉄道模型を活用した旧直方駅機関区のジオラマ化など、当時を知らない人々に対し、親切丁寧に接しながらかつての直方を伝えている。一般向けにも公開しているとのことで、機会を設けたい方はHPからお問い合わせください。

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