この記事でわかること
- 子(応神天皇)を抱きかかえ ショウケ越し
- 遠征軍を解散 大分八幡宮
- ちなみに「ショウケ」は、「宗家
子(応神天皇)を抱きかかえ ショウケ越し

ちなみに「ショウケ」は、「宗家
ちなみに「ショウケ」は、「宗家(そうけ)」が訛ったものと考える人もいる。天皇家の宗家であった応神天皇にちなんで「ショウケ」と名づけられ、転じてそれは今、園芸用品の名称ともなって使われている。ホームセンター等で見かけたら思い出してもらいたい(参考までに「ショウケ」という言い方は西日本中心に聞かれる言い方で、東日本では「手箕(てみ)」とか「箕」といわれる)。遠征軍を解散 大分八幡宮
峠を下ったところで、神功皇后は遠征軍を解散した。このことを「大分かれ」と当時は呼んだ。このことにちなんで、今の飯塚市には「大分(だいぶ)」という地名となり今に活きる。ちなみに現在ここには大分八幡宮があり、境内には後の応神天皇となる赤子の産湯の井戸というものもある。また、県指定文化財(天然記念物)の大クスノキも、ご神木として参拝に来る人々を迎えてくれる。
大分八幡宮は、JR福北ゆたか線筑前大分駅から徒歩で約15分程度の距離にある。その始まりは古く、もともとは神亀3(726)年と古代にさかのぼり、かの宇佐八幡宮や筥崎宮の元宮となったという由縁がある。国宝、もしくは国の重要文化財とされる二つの八幡宮の元であるというのは驚かされるが、その割にはこれを知る人も少ないのが少し残念。 境内を一見してわかるかもしれないが、整った数々鳥居や門の配置や神殿、拝殿の調度などの完成度を見れば、寄進や奉納を寄せてくる人々の姿が思い浮かび、信仰厚く人々の思いが寄せられていると見受けられる。それは先述の言い伝え、神功皇后の足跡にまつわるものだが、その後の日本に与えた影響の大きかったことのあらわれなのかもしれない。 福岡県には神功皇后と応神天皇にまつわる言い伝え、伝承が多い地域であるが、それは信仰という部分に大きく影響し、古代日本でカリスマ化されたために言ってもいいのかもしれない。真実は闇の中ではあるものの、功績の高い人物、そして祖先を崇拝するという人々の思いは万国共通である。邪馬台国論争と絡めて論を展開する人もいる中、歴史認識というところではまだまだ結論の出ないところではあるが、八幡信仰の元のもとともいうべき大分八幡宮は知られざる隠れたパワースポットであることは間違いないのかもしれない。

この記事を書いた人
松浦幸市(筑豊百景プロジェクト・経営コンサルタント)
中学高校社会科教職員免許・学芸員資格保有。福岡県田川郡福智町を拠点に、2020年より筑豊地方を中心に現地取材を重ね、訪問した事業所・文化施設は延べ100件以上。一次情報にもとづく筑豊の歴史・文化を専門的な知見で発信し続けている。


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