神話をたどる旅 神功皇后の足跡を追って 香春へ

Blog 筑豊見聞録
月岡芳年筆「日本史略図会 第十五代神功皇后」

日本の郷土にはどこにもある言い伝えや伝承。それは、いつしか人々によって語り継がれ、今の私たちの暮らしにひっそりと寄り添うように生きている。
それは、筑豊においても例外ではない。筑豊に残る言い伝えの中でも、日本神話に関わるものが、私たちの暮らしの身近にある。シリーズとして筑豊の神話と題し、地域に残る言い伝えの代表格をお話ししたい。その主な登場人物は、神功皇后と呼ばれる女王だ。

神功皇后の人物像

神功皇后、その存在について、研究者間でも賛否にわかれ、いまだ謎の人物。その神功皇后の足跡が、実は筑豊に数箇所ある。

神功皇后は、仲哀天皇(第16代)の妃で応神天皇の母。聖徳太子の時代より前の人物とされ、正確な時代は不明。卑弥呼ではとする研究者もいるが、その後継者の女帝壹与(とよ)とする人もいる。

古くから朝鮮半島にもっていた日本の権益と、近隣地域との関係悪化により、朝鮮半島に軍を派遣した(三韓征伐)。その陣頭指揮をした人物が神功皇后。男顔負けの強い女性として伝わる。

神功皇后が香春町に残した足跡

ここで気付く方もいるかと思います。神功皇后の夫、仲哀天皇の「仲哀」という名は、現在香春町とみやこ町の境界付近にある峠や地名と同じ。それは仲哀峠(香春町からみやこ町。通称「七曲峠」)、仲哀天皇平(みやこ町勝山)という地名の由来が天皇と関係があるのではという疑問が生まれる。ちなみに隣のみやこ町には仲哀公園という公園もあり、桜の名所として知られている。

仲哀天皇も実在が疑問視されているが、日本書紀・古事記にはしっかりと明記された天皇。誰もが一度は耳にしたことのある人物、日本武尊(ヤマトタケル)はこの仲哀天皇の父とされ、功績の高い神功皇后とともに活き活きと伝承化された二人とは対照的に地味な存在と言える。ここがまたミステリアスな側面を醸し出している。

言い伝えによれば、仲哀天皇は神功皇后とともに半島への向かう途中、半島へ軍を派遣することに難色を示した。このため、天命によりこの地で崩御したといわれる。この死は、人によっては不可解な突然死とも言われ、暗殺や謀略等も背景にあるという。この故事にちなんで、仲哀峠や仲哀天皇平などの呼び名が今に残るとか。他にも反抗勢力であった熊襲との戦いで、矢に当たったために筑紫の地で亡くなったという説もある。話は逸れるが、福岡市の香椎宮は仲哀天皇、神功皇后を祭神としており、社格としても別格扱い。謎めいた仲哀天皇の存在がなにか気になってくる。

この仲哀峠、トンネルも含め心霊スポットとしても知られる。

因果があるかは定かでないが、仲哀天皇の奇妙な死が背景にあってか語り継がれたのか…

それが積もり積もって凄惨な事件も関係して心霊スポットと語り継がれるようになったのだろうか…

ミステリーに満ちた仲哀天皇の突然の死、そして、無念の仲哀天皇のたたりを恐れた人々が、その霊を弔うために語り継がれているのかもしれない。犬鳴峠と並ぶほどの心霊スポット仲哀峠、記憶の片隅に置いておきたいところ。

旧仲哀トンネル
旧仲哀トンネルの内部
トンネルの壁面

こちらもご参考に

・仲哀峠

・福岡の心霊スポット 仲哀トンネル編

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