糸田町地名の由来 その秘密は「泌泉(たぎり)」にあり

Blog 筑豊見聞録

田川市との境に近い水田地帯に石の鳥居と石垣をめぐらせた小さな池がある。その名も泌泉と書いて、「たぎり」と読む。

関の山一帯に降った雨水が地下水となって湧出する泉。

古来から生活水として、また農業用水として、1300年以上にわたってこの地域の稲作を支えてきた。

この泉には、次のような伝説がある。

糸田金村権現宮は天智天皇7年(668)年秋8月、右大臣大伴(おおとも)公によって造営されたという。

公が天皇に従い筑紫要害を巡視した際、糸田の郷で神意を賜った。

鉾をもって探知したところ神泉を得、灌漑に多いに役に立った
というもの。これが「泌泉」にまつわる伝説。

この伝説が、この地の水田を「いとよき田」と呼ばれる由来となり、「糸田」の地名起源とも言われている。

この泌泉は、糸田町の指定史跡。今では湧水も少なくなったが、ミステリアスな魅力に満ちている。

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