「田川の方々は温かかったです」  映画『夏、至るころ』で初監督 池田 エライザさん

Blog 筑豊見聞録

福岡県田川市を舞台に、高校生たちのもどかしい青春を描いた映画「夏、至るころ」が全国公開されました。原案・監督を務めたのは池田エライザさん(24)=福岡市出身。女優やモデル、音楽関連など幅広い活動を続け、今回が初監督作品です。舞台あいさつで福岡に帰省した池田さんに、映画の製作に携わった思いを聞きました。(西日本新聞12/19付け記事より)

今回の映画は、製作会社「映画24区」が「地域」「食」「高校生」をテーマにしたプロジェクトの一つで、監督としてのオファーがあったんですね。

静かでいて、温かい田川

★池田オファーを受けてすぐ、炭鉱のことや古き良き日本のテーマで一本書いたんですけど、シナリオハンティングで田川に行って、またゼロから書き直しました。皆さんの意見を聴いて映画を作っていきました。

ーそのときの田川の印象は?

★池田 あまり田川を訪れたことはありませんでした。実際に行くと、武骨さというより、地域の方々の愛情深さや温かさを感じました。それと、ユニークな方が多くて。(田川周辺を含め) IKKOさん、小峠英二さん(バイきんぐ)、井上陽水さんなどを輩出しているのもうなずけます。個を大事にされていらっしゃるな、と。

一田川に入り込んでいったんですね。

★池田 中学生や高校生、お母さま方など、それぞれ座談会を開いていただきました。田川の街は、車で来るのが当たり前で、子どもたちや歩いている人が少なく、一見閑散としているけど、中に入ると「この街の子は全員自分の子」と思っている方が多い。それと、食事店ではご飯が全部大盛り。私小食なんですけど、って言っても「大丈夫」って。そういうのが田川らしい。静かでいて温かかったですね。

新しい価値を見出せる可能性

一映画は、高校3年生になった主人公と友人、そして東京から戻ってきた女性の夏を描いています。撮影はどうでしたか。

★池田 若い役者たちが、芝居を通して自分のことを知っていく瞬間に立ち会えたことが大きな喜びでした。撮影中、それぞれ自分の中の喜びや怒りを出して、カットがかかると、ぼうぜんとする姿を目の当たりにしました。気持ちの無限大化といった瞬間でした。すべての役の一人一人に、私の言いたいことを溶け込ませたんですが、東京から戻った女性は分かりやすく出ていますね。ギターを弾くのも同じだし、世の中に対して自分のふがいなさを感じて逃げる選択をする。そんな経験もありました。

一食事のシーンもよく登場しますが、工夫したことは。

★池田 よく映画やドラマで見掛けるのは、和食の日は和食しか置かず、整い過ぎの印象がありました。そうではなく、3世代の家庭では、お母さんとおばあちゃんが食べたいものをどっちも作った、みたいな。食卓のガヤガヤした感じを出しました。

田川のシンボルである旧三井田川鉱の2本の煙突。映画の中では「1本に見えたら幸せになれる」という設定です。

★池田あれはオリジナルですね。炭鉱の街から生まれ変わろうとする田川に、新しい伝承を、と。私は歴史をあまり知らない世代で、それが怖いときもあるし、危ないこともあるんだけど、知らないことで新しい価値を見いだせる世代ではないかと思います。

一改めて、この映画で伝えたいことは。

★池田今、先々のことで不安になる方が多いと思うんですけ

ど、たまにはご自分の原体験を思い出し、あの頃に大切にしたかったことを思い出しませんか、と。今を生きる人たちが、あまりにも今を生きていない気がして仕方がないんです。もっと身近な世界を大切にして足場を固めないと、いつか身動きがとれなくなる、という心配があって。

一監督としての次回作は?

★池田ご用命があれば(笑)。

監督は楽しかったです。自分でも企画してみたいと思います。

(文・根井輝雄、写真・帖地洸平)

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