眺めのいい白雲ラインと川のせせらぎを味わえる上野越ルート
上野越ルートから山頂へ


登山口から上野越まで、とぎれとぎれになりながらも川のせせらぎが聞こえる、沢沿いのさわやかな道。
ちょっと足を止め沢に下りてみると、岩の隙間に潜むサワガニを発見。日頃見ることのできないサワガニのかわいらしさに、ちょっと微笑ましく感じたりします。
ゆっくり歩きながら道の変化が楽しめます。


しかし、登るにつれて岩や石が多くなり、登山らしくなってきて、次第に昇りもキツく感じてくる。
心地よい汗をかきながら、上野越までは約1時間弱。左右に分かれる分岐を左に曲がると約500m程度で山頂にいたります。


白雲ライン
ロマンチックな名前のついた登山道は、上野越ルートの登山口から始まります。
白雲ラインに入り約100m程で案内板があり、その方向へと寄り道すれば展望台へ続きます。
山肌に沿って螺旋状に続く道をしばらく登ると、個性的な形の展望台が姿を現します。


ここから見下ろす上野の里は、映画のワンシーンにあるような懐かしの光景が広がります。遠く船尾山や関の山など石灰岩質の地質で知られる山々を眺められます。
展望台を後にしてしばらく進むと、自然が生み出した不思議な形の弘法岩があります。この岩は「弘法の雨宿り石」とも呼ばれていて、弘法大師の姿が映ったものだと伝えられているそうです。


途中ロープをつたって昇るロッククライミング的な道を越えたと思いきや、舗装された林道を歩いたりしているうちに、鷹取山への登山ルートへの分岐に到着。ここまでだいたい、ゆっくり歩いて40〜50分くらい。


分岐後は山道へと移り変わり、土の感触が心地よいくらいで、傾斜はそれほどではないものの坂道が長々と続きます。
山頂までは約20分かからないくらい。
山頂からは360°のパノラマが広がり、福智山の山頂も間近にすることができます。古くはお城だったため、平坦に広々として開放感と清々しい空気が味わえます。


鷹取城の歴史


鷹取山城は、筑豊の母なる川遠賀川の中流域にあって、福智山山系の中、直方市の東側の頓野地区・永満寺地区にあたります。
福智山の中腹で、標高632メートルの鷹取山山頂に位置しており、石塁・土塁・空堀・畝状阻塞・枡形門の遺構が残り、本丸・二の丸跡もわかりやすく残っています。
昭和61年度から平成2年度の間、直方市教育委員会の手で発掘調査されています。
本丸は東西32メートル、南北40メートルほどの方形平地で北西部に枡形の門跡や礎石も残り、北側に高さ二メートルの石塁が二段に残っていた。


発掘調査では、高さ5メートルの堅固な石垣によって全体を囲み、二段の平坦部が確認され、山城としてもかなり手の込んだ仕組み。
西口城門と東口城門の二ヶ所があり、三条の掘切によって二の丸と区画され、二の丸の周囲には土塁と空堀が巡らされ、また北西に続く尾根線上にも妙見曲輪と称する階段状の出丸跡が続く。


本丸の南面から東北面にかけて一四条の連続竪堀が続き、さながら要塞のように厳重な防備を施していたということです。
慶長六年(1602)黒田長政は、筑前の国守として入国すると、筑前六端城の一つで豊前固めとして、家老母里太兵衛友信を城主とした。
母里大兵衛友信といえば、あの黒田節のモデルとなった人物。となりの豊前国への睨みをきかせていたとあります。
コメント
[…] その後、太兵衛は出世を遂げ、直方市の鷹取城一万八千石の城主、嘉麻市大隈の益富城城主を経て、元和元年(1615)に六十歳でこの世を去りました。ちなみにお墓は、福岡県嘉麻市大隈町の麟翁寺にあります。 […]