近代建築の風情と温もり 松喜醤油屋から感じて

Blog 筑豊見聞録
松喜醤油屋正面(飯塚市勢田)

飯塚市頴田支所の近くにある多賀神社前の道を左に約100m行くと白壁造りの家並みが続く。落ち着いた明治の面影を残す商家の一つが旧松喜醤油屋である。

敷地面積約1200㎡、建築面積380㎡で、現在残っているのは母屋と離れで、醤油製造関係の倉庫などは残っていない。

土間、玄関の雰囲気

母屋の一階は土間、帳場とその他八部屋がある。土間には販売用の醤油などを陳列し、帳場は販売の事務を執る場所である。

柱に生々しく残る刀傷の跡

建築年代は不明であるが、大黒柱には1873年(明治6)の筑前竹槍一揆の際に受けた傷跡が残っていることから、幕末から明治時代初期に建てられたと推定される。2階へ上がる階段は美しい透かしのある赤漆塗りの箱階段であり、箪笥としても使用された。

2階へと続く階段

2階は2部屋あり、次間の天井は船底状につくられた湾曲した美しい天井であり、座敷との 間には曳船の絵柄を透かし彫りにした欄間が洒落ている。

2階部分の天井部

母屋と離れの間には両側をガラスで仕切った板敷きの廊下があり、その西側には中庭がある。離れには中庭に向かって「月見台」がある。十五夜などの月を眺める優雅な贅沢な施設で他の民家には見られないものである。

中庭

醤油醸造で財を成した富豪の生活が偲ばれる。離れは三部屋あり廊下が廻る書院造である。冬は襖、夏はよしずが取り付けられていた。

旧松喜醤油屋の先祖は、江戸時代の初めに宗像郡から嘉麻郡勢田村(飯塚市勢田)に移住し、農業を営みながら庄屋や組頭など行政にも携わり財産を蓄積した。1754年(宝暦4)から呉服・荒物・塩などの小売を始め屋号を「松屋」といい、1895年(明治28)まで営業した。

1880年(明治13)に喜兵衛の代に醤油醸造を始め、屋号の松屋の松と喜兵衛の喜をとって、松喜醤油と名づけ、1965(昭和40年)代まで続いた。

松喜醤油屋がある旧勢田村界隈は、近くに筑豊で二、三位の出炭量を誇る明治炭鉱ができたため、多くの従業員と石炭輸送の川船の船頭が集まり、米屋、呉服屋、魚屋、質屋、宿屋、飲食店、鍛冶屋、酒屋などが軒を連ねた町並みが形成されて1907年(明治40)頃に最も栄えた。

明治時代の初めまで醤油は自家製であったが、その後家内工業的な生産へ発展した。旧松喜醤油屋は明治初期の醤油屋の建築様式を残し、その意味では希少価値が高い。

また、石炭と共に繁栄した勢田村の歴史を伝える貴重な歴史的建築物といえる。

現在、飯塚市では旧松喜醤油屋を、飯塚市指定有形文化財として土日のみ一般公開しています。ご興味のある方は、ぜひ見学なされてみてはいかがでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました