筑豊本線のSLラストランで煙を吐いた9600形2両は今、ともに静態保存されている。重連の先頭だった59084号機は田川市石炭・歴史博物館、後ろに付いた59647号機は直方市のNPO法人「汽車倶楽部」にその姿がある。
同法人理事長の江口一紀さんは、59084号機をラストランで操った故一光さんの長男。父の仕事と「キュウロク」との愛称で親しまれた9600形の運姿を、飯塚市鯰田の遠賀川の土手で目に留めた。中学2年だった。
JR九州の田中浩二社長(当時)へ手紙を送り、「おやじの晴れ舞台。いい笑顔が見えた」と「キュウロク」への思いをつづったのは、ラストランから四半世紀が過ぎた1999年9月。
直方市に貸与され、市有地の一角で放置状態の59647号機は、製造から7年が過ぎていた。「門デフ」と呼ばれる旧国鉄門司鉄道管理局の独自仕様の運板を付け、石炭を運び続けた。その老症の譲渡を願っての直訴だった。
「風雨にさらされて次第に朽ち果てていく姿を見ていつもいたたまれない思いをしております」と訴え、必要な資金や保存場所を身で確保したこと、鉄道ファンの協力で欠損部品や計器を調達して修復が可能となったことを伝えた。
ほどなくJR九州からの「無償貸与」が実現し、約1カ月後に同機を移設すると、半年をかけてよみがえらせた。同社への感謝と御礼を込め、2000年2月に「静態保存記録」画し、直方―鳥栖間往復で走らせた。
SLの後を継いだディーゼル機関車「DD51形」が客車6両を引く編成。
江口さんは「さよなら列車をまねした」と笑う。
手紙で「機関車を中心に、親睦の輪を広げ、若い人たちにも見学に来てもらい、後世に伝えたい」と約束した。
その通りに「汽車倶楽部」会員らと定期保守点検で老雄をいたわり、市教育委員会の委託で行う小学生の社会科見学で語り部となってきた。
「SLは産業遺産であり、筑豊の宝物。資料館づくりを急ぎたい」。2月に還暦を迎え、自らを奮い立たせる。
西日本新聞3月17日付朝刊「老雄の肖像」筑豊線130年企画より
かつて筑豊が石炭で潤っていた頃、筑豊本線を中心に縦横無尽に駆け抜けていた。
大小300以上数えた炭坑まで、鉄道の引込線が続き、それらは今の筑豊本線へと繋がっていた。
炭坑から石炭を満載した車両は、機関車の二重連によって長大な貨物列車となり、積出港となっていた若松港を目指した。その途中、多くはここ直方を経由することになり、石炭産業の発展とともに直方駅の構造も巨大化していった。
今では駅周辺の再開発、そして駅舎のリニューアルにより、その景観は様変わりし、かつての面影はなくなっている。
直方の街についてもっと知りたい方はコチラも要チェック
コメント