成金饅頭 事業承継で次世代へ 受け継がれる思い

Blog 筑豊見聞録

直方の代表的名菓成金饅頭が、若い世代の事業承継によってあらたな局面を迎えるという記事が、本日23日付西日本新聞朝刊筑豊版に掲載されていた。街が活気づくようなホットな話題、微笑ましく感じる人もいるのではないでしょうか。そこで本稿は、成金饅頭にスポットを当ててみたい。

成金饅頭発祥秘話

成金饅頭、その誕生はちょっとした手違いによるものが、思いのほか大ヒットしたことにある。以下は新聞記事に載せられていた内容をそのまま書き起こしたものです。

〝成金饅頭は「災い転じて福となして」生まれた。直方郷土研究会会長の牛島英俊さん(74)歳によると、生みの親は八女市の穀物商の長男だった牛島さんの祖父、準蔵さん。石炭景気に沸く直方に移り、日露戦争(1904~1905年)の最中に北海道からうずらの卵を大量に買い付けたが、講話が進んで相場が暴落。切羽詰まって「豆で作ったあんこがいっぱいの菓子」を発案して売り出し、大当たりした。〟

こうした奇跡によって生まれたのが成金饅頭という。これ以外にも「成金」と言われ始めたのは定かでなく、当時筑豊御三家の一人として大きな存在感のあった貝島太助が大きいと聞く。太助の功績や、当時としては破格の三階建ての豪邸を建てたなど、直方発展のシンボル的な存在となっていた。それがいつしか「成金」と言われだしたというのだが、裏を返せば極貧ともいわれた幼少期からいくつもの失敗を経て不屈の思いで出世したという太助の生き方そのものを象徴しているのかもしれない。石炭で財を成した当時の世相をよく映している。
直径は数㎝のものから、20㎝、30㎝と常識では考えられないような大きさのものがあり、筑豊の人々の恰幅のよさが伺える。贈答品や結婚式の引出物、お土産としても目にするものとして、100年以上の歴史がある。

事業承継 受け渡したいモノと思い

相次ぐ炭坑の閉山は、成金饅頭を精魂込めて作り、受け継いできた老舗を廃業へと追い込むことになった。直方市の中心部に10軒ほどあった老舗は、半分程度になっている。そうした状況の中での事業承継は貴重なこと。名乗り出たのは、浅野雅晴社長と井上友尋専務。直方市に設立した株式会社纏屋として船出し、菓舗四宮の事業、従業員を引き継いだ。
井上専務は、地場産フルーツを活用した新スイーツの考案や販売など今後に期す熱い思いを寄せている。もともと八女市出身の井上専務は、成金饅頭のはじまりに興味を覚え、直方市に移住しての今回の船出。その思いたるや相当なものを感じずにはいられない。ちょっとした窮地から奇跡の大ヒットを生んだその人も、八女市というから人の縁とはまことに不思議。
何気なく当たり前のように地域に存在しているものでも、他の地域の人々からみた場合、それが鮮烈に印象を残すこともある。見方が違えば、その解釈や考え方、アプローチも変わっていく。そんな中に奇跡を生み出すきっかけが眠っているかも…
かく言う筆者も、中学生の頃社会科の教科書の1ページに筑豊炭田のことが書かれていたことを思い起こす。炭坑や産業にクローズアップした部分だったと記憶しているが、筑豊炭田についてはわずか一行の記述でしかなかった。その一行がいまだに鮮烈な印象を与えてくれたのを覚えている。それが数十年の時を経て、この地に暮らす奇妙な人の縁のもと、この地の魅力に感銘を受け、この地の魅力を伝えたいという思いでいっぱいである。
やや話がズレてしまったが、地域を創り、活気づかせるのはやはり人と思い。上記の記事をみて、見方を変えれば実は筑豊ってスゴイものがたくさんあると気づけるきっかけや、地域の再発見につながってもらえればと思う今日この頃です。

まとやの成金饅頭⇒https://narikinmanju.theshop.jp/

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