筑豊唯一の村赤村で最も高い山 犢牛岳 その謎

Blog 筑豊見聞録
犢牛岳の山頂部

犢牛岳(こっといだけ)、筑豊地方唯一村、赤村で最も標高(690.3m)が高い山だ。

何も知らなければ、その読み方はまったく見当がつかない。それゆえに全国難読山サミットでTOP20にも選ばれた経緯(全国難読「山名」ランキング)がある。しかし、これはあまり知られていない。

ここでは犢牛岳のことを、もう少し、広く知ってもらうための機会としたい。また、そこに秘められた秘密や謎はどんなものだろう。

文字から秘められた意味とは?

赤村の平野部から見上げる犢牛岳

犢牛岳の「犢」という漢字には、「牛の子」という意味があるという。一説には牛を「売(賣)」るというところから、このような意味が生まれたともあるとか。

もうすこし調べをすすめてみると、「ことおいのうし(事負いの牛)」から「こといのうし」、そして「こっとい」へと発音が変化したために生じたとする説もあるようだ。正直なところ資料は限られどれが事実なのかは闇の中といったところだ。

一般的に考えれば、こんな難しい漢字を充てた名前にしなくても…と感じてしまうのではないか。その由来は不思議としか言いようがない。犢牛岳の付近では戦前まで、牛馬の飼育がなされていたという記録もあり、牛に関するなにかが象徴的であったため、人々から命名されていたのは確かだろう。

地名と歴史、それを少し紐解くと、意外なことがわかったりする。例えば今でこそ添田町の英彦山は「英彦山(あるいは彦山)」と表記するが、元々は神様の子が棲む「日子山」と表記した。このことからもこの山の象徴としていたものが、牛にまつわるものだった間違いないものとみられる。

山頂にある謎の石碑


犢牛岳山頂からわずかにみえる英彦山、鷹ノ巣山(出典元:YAMAP・bunさん)

残念ながら現在は、犢牛岳山頂付近に生い茂る木々のせいで、眼下を見渡すことができない。

ちなみに山頂には「法経の辻」という梵字岩があり、古くは山伏たちの修行の場、霊験の地であったと思い起される。

山頂にあるエピソードは、以下のようなもの。

不思議に満ちた「法経の辻」

時は弘化四(1847)年のことらしい。当時津野村田代(現在の添田町)に在住の奥武という農民が、友人とともに狩りに山中へと行った。その帰り道、犢牛岳の近くにある平山池という場所に差し掛かった時、6,7歳くらいの子どもとすれ違った。

このとき先に歩いて、この子どもと出会ったのは奥武で、友人より先を歩いていた。

「こんな冬の日の夕暮れに子どもが一人でこんなところで…」といぶかしく思った奥武は、すぐ後から来た友人に、「お前、子どもに会わなかったか?」と聞いてみたところ、「いや、見なかった」と答えたと言うと、腰が抜けたかのように奥武は地面に座り込んで一歩も動けなくなった。

友人が抱き起そうにも岩のように重く、微動だにしない。そこで友人はやむなく、村から応援を連れてきて大きなタライに乗せ担いで山を下りた。

河童の祟りか、狐のいたづらか…

この話に恐れをなした村民たちは、英彦山から経覚坊という修験者を呼び、三日三晩祈祷することで奥武は元の体にもどり、動けるようになった。

こんな出来事があったことで、村びとたちは山頂に悪霊退散やその祟りから守るべく、「法経の辻」を山頂に建てたという。(以上、『赤村史』を参照)

山頂にある法経の辻 一つ一つの岩には「法華」や梵字などが確認できる。

犢牛岳へ行くには

登山道は入り口こそ福岡県が整備した看板と標識があるものの、途中から散在する岩の露頭によって途切れ途切れとなっているところがあり、初心者にはややわかりにくく感じる。周辺は琴弾の滝、大音の滝といった名勝(詳しくはこちら「筑豊県立自然公園」)がある以外はひっそりと静まった佇まいで、この山のミステリアスさにさらなる演出しているかのようだ。

そんなミステリアスに満ちた犢牛岳、山頂へと登ろうとする人も少なからずいる。筑豊地方の秘境の一つとされる赤村、その村のなかでも最も外れにある地、行ったことのある人の声はこんなものがある。⇒yamap

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※初心者にはやさしく気軽に登れる山々がいっぱいです。

登山の後は⇒(筑豊秘湯めぐり 癒しを求めて

※近くににはゆっくりできる立ち寄り湯もあります。

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