今回の偉人伝は鞍手町の出身で、福岡藩で活躍した伊藤常足(いとうつねたり)について、みなさんに知ってもらいたい。
彼の主な功績
伊藤常足は、安永三(1774)年に鞍手町古門に生まれた。家柄は、現在の古物神社の神官ということで、子どものころから文書や説話、歴史に親しんでいたと聞く。
日本の伝統文化の再発見
常足は、古代の日本の文化や神道について深く学びました。そして、地域の文化や歴史を大切にし、それを未来に伝えることが重要だと考えました。
彼の研究は、日本の心をもう一度見つめ直す大切な機会を私たちに与えています。
自宅に当時の流行ともいうべき私塾を創り、国学(今で言う国語や歴史、地理など)や和歌を教えていた。68歳になり「太宰管内志」という九州の歴史や地理についてまとめた書物を完成させた。
37年の歳月をかけてまとめたという「太宰管内誌」は、82巻に及ぶ大作で、明治になって活字化され、その後の歴史研究、郷土史研究に広く活用された。
後世に受け継がれる教え
現在でも参考とする研究者や郷土史家も多く、その功績は現代にも貢献し続けている。ふるさとの歴史や文化に興味があるという方なら、どこかでは必ず目にしたことのあるほど、九州郷土史の事典的存在。
教育者としての彼は、自分が学んだ知識を次世代に伝えることに力を注ぎました。
彼の教えを受けた多くの人々が、その後も日本の文化や歴史を大切にし、広めていきました。常足の教育は、地域の未来に明るい道筋を示したのです。
歴史学者の間でも、伊藤常足の功績は高く評価されています。
まとめ
彼の研究が、日本の文化や精神を見直すきっかけとなり、今でもその影響は色褪せていません。彼の生涯を通じて、日本の伝統文化を次の世代に伝えることができたのは、彼の熱意と信念のおかげです。
現代的に言えば、『じゃらん』や『KyusyuWalker』などのご当地情報誌に見られるような内容を、くわしく述べた百科事典のようなもの。これを一人で大成させたというのは、人並みならぬ意志によって仕上げられた偉業というもの。
地域と歴史をつなぐ存在
伊藤は85歳の生涯を閉じるまで、教育に献身し、身分や男女の区別なく指導にあたったというほど。
常足の考え方や生き方は、今も鞍手町で受け継がれています。
彼の生家は、当時の生活や文化を今に伝える貴重な場所で、訪れる人々に彼の功績を感じさせてくれます。この場所は、地域の歴史を語り継ぐ大切な場所となっているのです。
彼の旧宅は、今福岡県指定文化財として復元されています。江戸時代後期の建築様式で、伊藤が13才のころから起居されていた居宅です。伊藤家資料の記録で古図面に基づいて推定復元されたもので、 広い土間を置き、 美しい竹天井を持った田の字形平面の間取りは、 この地方の古民家の典型例。
その息吹がまだ感じられそうな雰囲気を醸し出している旧家、筑豊人の大きな功績をひっそりと伝えている。
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