今日、東アジア大学生人権平和キャンプと題した、研修会が田川市内で行われた。
韓国からの大学(ソウル大学ほか)と立命館大学の大学生百数十名を受け入れて、田川市の石炭・歴史博物館や炭坑労働者の慰霊碑を視察し、午後からは意見交換会がおこなわれた。
思っていた通り、韓国の大学生側から炭坑における朝鮮人の強制連行と過酷な労働についての話があげられた。真剣な学生たちの眼差しと討論があった。
その内容はここでは割愛するが人権の世紀と言われる21世紀。日本各地の炭坑では当たり前のように見受けられた、朝鮮人の強制連行と過酷な労働。その事実を無視し、炭坑遺産が世界文化遺産への道を歩もうとするのは本当に正しい選択なのか。そんな疑問を持つ機会をあらためて得ることができた。
筑豊に残る炭坑関連の遺産は、世界文化遺産へのリストから外されているが、リスト入りしている端島(軍艦島)や三井三池炭坑(大牟田市)などは含まれている。これらにも筑豊と同様、朝鮮人の強制連行と過酷な労働の事実はある。
この事実をしっかりと向き合った上で、世界文化遺産への登録を目指しているのだろうか?観光を中心として地域の活性化を図るというメリットばかりに、一部の人たちの思惑が集中していないだろうか?
以前の投稿で、筑豊に残る炭坑関連の遺産を人権尊重と啓発、教育のために活用してみてはという提案をした。
国、県、地方自治体ともに人権という視点から、炭坑遺産の持つ影の部分に焦点をあてていない。日本の、そしてアジア初の近代化に貢献した貴重な遺産という光のみをアピールしている。
つまり、日本でも歴史の光の部分を大きくクローズアップし、その影となっている部分を見て見ぬふりなのではないか?
古代から金や銅の生産で朝鮮半島とのゆかりが深い筑豊。古くから大陸からの異人として扱い、差別されたであろうことは想像に固くない。
基本的人権の尊重、平和主義を憲法で標榜する日本であるのならば、人権尊重と啓発、教育、そして繰り返してはならない教訓を発信する遺産として、筑豊の炭坑遺産は新時代の役割を担ってもいいのではないだろうか?古くからの歴史が教訓となることは間違いないだろう。
東アジアの学生たちの熱き討論が、次世代の和になってくれることを祈りつつ、近隣諸国との和が建設的な未来を創り出すこと、そして筑豊の炭坑遺産の新たな役割を期待したい。
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