岩戸神楽とは?大内田神楽から、その世界観に迫る。

 筑豊には神楽が根強く残っている。六嶽神楽(鞍手町)や春日神社岩戸神楽(田川市)など、後継者不足に苛まれながらも、地元の方々の熱心な思いで受け継がれている。

 なかでも筑豊の「豊」、旧豊前国内では神楽が未だに盛んで、その主な演目として「岩戸神楽」がよく知られる。「岩戸神楽」と聞いて、「懐かしい」という人もいれば、「それは何?」という人もいる。そこで今回は岩戸神楽の意味について、赤村の大内田神楽の動画をごらんになりながらふれてみてほしい。

 まず「岩戸」と聞けば、天照(アマテラス)大神と速佐之男命(スサノオノミコト)を連想する方も多いだろう。それが神楽となっているのが、岩戸神楽。つまり「古事記」や日本書紀」にある神話、建国物語にまつわるストーリーだ。

 速佐之男命の悪戯に嫌気がさした天照大神が、岩戸の内側に入り戸を閉ざしてしまった。このために地上は暗黒の世界となり、人々は困り果てる。

 この状況に憂慮した思兼命(オモイカネノミコト)が岩戸の前で、うろうろしながら「どうしようか…」と考えふけっている。白髪頭でしわまみれのお面が、思兼命をうまく表現している。何とか戸を開けようと布刀玉命(フトダマノミコト)や玉祖命(タマノオヤノミコト)などが、趣向を凝らした舞を舞うも戸は開かず…

 ここで登場するのが天宇受賣命(アメノウズメノミコト)。女性らしいしなやかさをもとに、扇を手にして女神のように華麗に舞う。その様子に八百万の神々が拍手喝采をしていると、気になった天照大神が戸を少し開けて様子をみようとした。

 その時登場するのが、天手力男神(タジカラオ)。その怪力で岩戸をこじ開け、再び地上に日の光をもたらすことができた。八百万の神はともに祝い感謝しました。これが岩戸神楽の大まかな流れである。

 私たちの国日本は農業を根幹として、これまで発展してきた。このため「お日様」という言葉に象徴されるように、太陽信仰が社会の基底にある。今年もいつもと同じように、お日様に恵まれますようにという思いを神楽にこめ、神前で奉納し今年の豊作を祈る。

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