数年前に近代的な駅舎へと建て替わった直方駅、スマートな駅舎と駅前ロータリーの整備も相まってとても快適な駅前空間が広がっている。しかし、こうなる以前は木造駅舎を中心に、鉄道のまちとして親しまれてきた経緯があります。ここでは先代の木造駅舎を少し詳しくお話し、近代化産業遺産として価値の高い側面や過去の記録を備忘録として残しておきたいと思います。
100年以上筑豊の発展を見守ってきた直方の象徴
今回お話しするのは、筑豊地方の中心街のひとつ直方駅です。直方は飯塚、田川とともに筑豊三都と言われておりました。この筑豊三都はそれぞれ独特な雰囲気をもっております。
そのなかで明治期以来の建築様式を残す駅舎は、この直方駅のみでした。
写真向かって右は旧駅舎で、もともとは博多駅のものを移築したものとされます。そして、左奥にはこのたび落成した新駅舎がみえます。
JR九州が新築したものと聞きますが、駅前の区画整理により旧駅舎を解体して利便性の高い駅構内を整備するためとされます。
新旧の駅舎が一枚の写真に納まっているこのスナップは、あたらしく生まれ変わろうとする直方の歴史の1ページともいえます。
この一方で、直方には明治・大正期の近代建築がところどころにあり、レトロな景観を目にすることができる町です。こうしたことから、駅舎の解体を惜しむ声もあります。私個人は両方の意見とも理解できるため、複雑な気持ちというのが正直なところです。何はともあれ、活気ある直方へと発展するように祈りたいです。
旧駅舎の歴史的価値
直方市は明治以降、筑豊炭田の石炭を集荷・輸送する拠点として発展し、直方駅はその中核となっていました。
石炭積出港の若松と直方をむすぶ筑豊興業鉄道が開通したのは、1891年(明治24)8月。これは国内の鉄道としては、かなり早い段階での開業と言えます。
この時の直方停車場は、1900年(明治33)測量の地図によれば、現在の直方駅より南側の場所で、『直方市史』ではこれを「古町5-2白石商店前」としています。今で言うと「御館橋陸橋」より北の位置にあたるようです。
先代の駅舎は、近年の改修で內外観を損ねてしまっていますが、全体的な意匠は明治から昭和初期にかけての木造舎に広く見られるスティック・スタイルを基調としていました。
建物は鉄道に平行して南北に桁行きを置く木造平屋寄棟の瓦葺建築で、平面の四周に屋根端部を切妻とした雨除け下屋をポーチとして巡らせたもの。
インパクトある車寄せは、基礎部より三本束ねた支柱が重厚かつオリジナリティがあり、明治期に流行したデザインを感じさせるものでした。
屋根や雨除けの下屋を支える柱は、上部を四角形柱頭を介して円弧状の持送りとなり、車寄せ正面の三角形破風を支えるたもの。
この破風の妻飾りはアールヌーボー風の円弧を描くスティック(棒状材)と縦羽目板・斜め羽目板で構成したもの。
このような外観は、引き続き建てられた佐賀・鳥栖・上熊本などの駅舎に先行・共通したものと言えます。
したがって、直方駅は当時の鉄道院が全国的に展開した駅舎建築の典型であると同時に、残存する数少ない現役の明治期駅舎建築として貴重な存在でした。
コメント