近代化産業遺産

スポンサーリンク
Blog 筑豊見聞録

キュウロクと呼ばれたSL 鉄道と筑豊の深い関わり

かつて日本国内を縦横無尽に疾駆していたSL。今では観光等に活用されている一方で、管理上の問題となっているものもある。筑豊地方にも静態保存された状機関車は他地域に比べて多いかもしれない。炭坑の発展に大きく寄与したSLたちの知られざるエピソードがあまたあるうち、9600型と言われるものの最後の物語をここで紹介したい。
Blog 筑豊見聞録

もう一つの炭坑王邸宅 旧高宮貝島邸、新名所として

福岡市にある旧高宮貝島邸、このたびリノベーションを通じて、人々の憩いの場を提供してくれる新名所となるようだ。この記事では、過去の新聞記事と現在までの経過をみてみたい。
Blog 筑豊見聞録

キュウロクと呼ばれたSL 鉄道の街直方を物語る

根強い人気のあるSL、蒸気機関車はかつて日本全国どこでもみられていた。飯塚、田川を経由して直方に集まった石炭列車は、ここから若松港を目指して疾駆したのももう半世紀以上前の話となる。このため直方は鉄道の街とも言われた。そして今、その歴史を語り継ごうとしている熱き人たちがここ直方にいる。その人々の胸の内にふれてみたい。
Blog 筑豊見聞録

短命に終わった東洋一の竪坑 伊加利炭坑

田川市伊加利の地に残る煙突、コンクリートの小さな建物、何も知らなければ単なる廃墟。しかし、その由来を知ると私たちの知らない伊加利坑の姿が見えてきます。炭坑遺産の一部から、筑豊炭田の栄光にふれてみませんか?
Blog 筑豊見聞録

炭坑跡からのメッセージ 製鉄所(日鉄)二瀬出張所跡から

大小300以上の炭坑(ヤマ)を数えた筑豊炭田が、なぜこれほどまでに発展したのか。それは北九州市の八幡製鉄所が、1901年に操業したことが大きい。「鉄は国家なり」というスローガンのもと、近代化を目指した日本。それは製鉄によるところが大きいが、それは筑豊の炭坑がなければ到底実現しなかった歴史かもしれない。
Blog 筑豊見聞録

異色の蒸気機関車 アルコ22・23号の軌跡

静態保存されているアルコ22・23号は、ともに貝島炭礦で活躍した縁の下の力持ち。そんな2両のアルコを紹介します。
Blog 筑豊見聞録

炭鉱(ヤマ)の光と影 筑豊炭田年代記

この稿では、筑豊炭田という巨大な文化遺産に親しみをもってもらうため、その大まかなストーリーを年代記風に書き示し、あわせて華々しい栄華の影に隠れがちな部分を先人たちの教訓としてまとめてみたい。
Blog 筑豊見聞録

いまさら聞けない!? 筑豊炭田遺跡群 国指定史跡へのワケ

平成30年に指定となったものの、その具体的な内容や、国指定史跡としての価値を知りたいけど、どれを参考にしたらいいかわからない。あるいは、「え、そうだった⁉︎」とか、全く知らなかった。そんな声が聞こえてきそうな筑豊炭田遺跡群、この稿は少しでも理解を深めてもらうため、そのポイントをまとめてみました。
Blog 筑豊見聞録

人力車、発明と特許制度に関わった筑豊の人、和泉要介

人力車の発明には筑豊出身の人物が関わっている。彼の名は和泉要助。直方市出身の彼は、近代化の進む明治日本で人力車を発明した一人。まだ、特許制度の整備がすすめられていなかった時代、彼が残した足跡とは?
Blog 筑豊見聞録

地中からのメッセージ 生きていた炭坑跡 原口炭鉱大門坑跡、その宿命とは?

日本随一の産炭地とも言われ、日本の近代化をエネルギーという側面から支えた筑豊炭田。それは最盛期には300を超える大小の炭坑が乱立していた。その象徴として旧目尾炭鉱や旧三井田川鉱業所などがあり、それらは国重要文化財(史跡)として認められた価値がある。この一方で同じ炭坑跡でありながら、脚光を浴びる機会の少ないものもある。今回は、そのうち原口炭鉱大門坑跡をクローズアップしてみよう。
スポンサーリンク