旌忠公園の忠霊塔、満開の桜が英霊たちへ毎年花向け

Blog 筑豊見聞録

新飯塚駅から徒歩10分程度の距離にある旌忠公園は、桜の名所として知られる美しい公園です。あまり知られていませんが、この公園には、飯塚市の歴史を語る重要な史跡があります。それが、西南戦争以降の国のために命を捧げた地元の英霊を祀る忠霊塔です。

忠霊塔建立の背景

明治10年(1877年)に勃発した西南戦争は、明治維新後の国家体制を決定づける重要な戦役でした。飯塚市からも多くの若者が徴兵され、命を落としました。

戦争終結後、飯塚市では戦没者への慰霊と功績を称えるため、忠霊塔の建立を計画しました。当時、麻生商店(現・麻生セメント)の社長だった麻生太賀吉氏は、私有地であった高雄山を忠霊塔建設用地として提供したということです。

そして、たくさんの人々の寄付が寄せられているのがわかります。

公園の名称となっている旌忠」とは国家に対する忠義を顕彰することを意味し、当時の時代風潮を色濃く反映した部分が感じられます。

地名に由来した園の命名ではなく、自己を絶対的正義の立場に置いて他者を討つ意味を持つ中国古典の語句を用いたところが、当時の時代風潮を物語っています。

忠霊塔の特徴

昭和14年(1939年)に完成した忠霊塔は、高さ約17メートルの堂々としたもの。付近にある寄付者芳名碑には、たくさんの人々が協力したことを物語っています。単なる戦没者慰霊施設ではありません。

飯塚市の近代史を語る重要な史跡であり、戦争の悲惨さや平和の尊さ、命の尊さを後世に伝える役割を担っています。

また、当時の歪曲した思想によって、国家が統制され支配するものが絶対的存在として位置付けられたという史実を語りかけるのが、この塔の特徴です。

高雄山の裾野に広がる桜

公園内には桜並木もあり、春には美しい景色が楽しめます。訪れる人を楽しませるだけでなく、先人たちの犠牲によって、現在の私たちが生きながらえることができる。そんな感謝の念を示すように、約600本よも言われるソメイヨシノ、ウコンザクラが咲き誇ります。それはまるで英霊に花向けられるように。

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