世界で最もわかりやすい神楽の話 豊前岩戸神楽を大内田神楽(赤村)から紐解く(その2)

Blog 筑豊見聞録

前回の投稿(世界で最もわかりやすい神楽の話 豊前岩戸神楽を大内田神楽(赤村)から紐解く)では、神楽の特徴から豊前岩戸神楽、そして大内田神楽とごく簡単にお話ししました。

ここでは、大内田神楽の舞をもう少し詳しく見ていきましょう。その舞や祝詞、囃子も含めたところから、一つの演目に込められた意味について理解してもらいたいと思います。まずは舞手が面を被らない「式神楽」についてまとめておきましょう。

 

式神楽とは?

 神楽が始まる前に舞手と囃子(はやし)が一同に拝礼します。これは一般的に「清祓(きよめはらい)」と言います。「大祓(おおはらい)」とも呼ばれ、舞がなく三拍子の楽によって、これから神楽の舞が始まることを知らせる儀式です。「大祓」が終わると、いよいよ神楽の舞の始まりです。ここから始まる式神楽は、直面(お面をつけない)の採り物神楽で、幣や扇などの採物を手に舞い手が舞うことで場を清めます。神様を迎えるために行われる演目で、いくつかの種類があります。

狩衣(かりぎぬ)をまとい祓う舞 四方の舞・折居・御福・花神楽

折居の舞

四方の舞

 別名散米(さんまい)とも言います。

 一般的に米は日本人のわたしたちにとって主食であり、強いては命をつなぐ、生きるために欠かせないものです。これにあやかって、米を生命の源として考え悪霊が退散するものとされます。

 一人の舞人が赤の狩衣(かりぎぬ)をまとって、奏楽とともにゆるやかに現れ神殿に向かって二礼二拍一礼します。祓詞(はらえことば:穢れを祓い、清く正しい状態にするための詞)をあげたあと、三宝の米を一つまみして東西南北それぞれに撒きつつ左回りに舞い、最後に中央に戻って舞い上げます。

折居(おりい)

 別名「神降ろし」とも呼ばれ、神々を集めて祓い清めの歌舞をとりおこなうものです。舞人は四人、それぞれ緑、赤、黄、紫の色で無地の狩衣、袴を着用し、手には小幣と扇を持ちます。

 四人一列で入場し、神殿に向かって座礼した後、神楽歌とともに歌い舞うことに始まります。その歌の内容の主なものは「天つ神 国つ社を祝いてぞ 吾が葦原(あしはら)の 国は治まる」など、神様の恩恵を称え天下泰平を祈るものです。

 四人の舞手が東西南北、中央にそれぞれの方向で舞い、地霊を踏み鎮めまたは拝礼する。こうして結界をつくり、扇で神様を天上から招き降ろす所作を演じ、神様を迎えます。

御福(みふく)

 舞手の衣装や採り物、人数は「折居」と同じです。しかし、言上や舞の型も少し手の込んだものとなります。二礼二拍手の座礼をすませ、東方の舞手より掛歌を詠みあげます。「幣立つるここも高天原なれば」に続き、「集まり給え四方の神々」と斉唱します。同じことを南、西、北に位置する舞手が順に同じ所作を繰り返します。

 この後扇と小幣を交互に、天上から地上へと案内するように振り下ろすところが特徴です。位置替えもしながら二・三度繰り返しおこないます。このとき奏楽にあわせ、中央に向かって四人が小幣と扇を交互に入れ替わりながら舞いあげます。こうして悪霊が鎮められ、神様の降臨を迎えます。

 

花神楽

 「折居」・「御福」と同様四人の舞手が採り物を手に舞うものです。舞いの特徴として採り物、五色の「切り紙」があります。基本的な舞の構成は御福と同様ですが、五色(黄・青・赤・白・黒もしくは紫)の「切り紙」を四方及び中央で撒くのが特徴です。各方位では言上を唱え、干支の文言を入れた歌が歌われます。

 この「切り紙」の意味は大きく二つの説があるとされます。ひとつは「祖霊」とする説。神様があらわれた神々しさに、生命の高まりをくわえるための所作であるという。もうひとつは、「清めの塩」です。この後に始まる一連の神楽に先立ち、その場を祓い清める役割があるとも言われます。地域によっては「大潮舞」などとも呼ばれております。

御福の舞

陰陽五行の思想をもとに創り出す世界 地割:剣の舞

 手に太刀を持ち、毛頭(しゃも)、裁着袴(たっつけはかま)の直面の舞手五人と、狩衣、袴姿、採り物に大幣と鈴をもった直面の神主一人とで舞う型です。

木・火・金・水・土それぞれの神に扮した舞手が相争う

 地割では直面五人の舞手は五行神と呼ばれ、木、火、金、水、土に対応した神様とされます。木、火、金、水の神々に四季の割り当てがあるのに、土の神にはそれがありません。これに不満の土の神は、剣を振るって他の神々と交戦します。それぞれが東西南北、そして中央で舞い、乱切りや反り返ったり、時には問答をおこなって戦うしぐさもあるなどかなり激しい所作が特徴です。このような場面に神主が登場し、混乱をおさめます。

 五行とは宇宙から人間にいたるまで、木、火、金、水、土の循環や消長により支配されるという思想です。この思想を舞台化したのが地割という演目になります。時に荒々しい所作で“乱”を表現しますが、これは乱れた秩序を鎮め、安息の世界をもたらしたい人々の願いが込められております。悪天候から好転して快晴となるように、天上界でも神々の争い、乱れから安息へと移ろうことを演出しているのです。

地割に見る陰陽五行の思想

陰陽五行とは古代中国で生まれた、自然界の事象に対する考え方です。日本には仏教や儒教とともに、5~6世紀(今から1,500年前)ごろ伝わったとされます。

自然界にはすべて「陽」と「陰」があり、それは光と影、太陽と月、そして奇数と偶数や吉と凶もこの理により成り立っているととらえます。これが陰陽という思想です。そして一年を三百六十日、木、火、土、金(ここでは「ごん」と読みます)、水の五つの時節によるものとする。これが五行という思想です(現代でも「土用の丑」という暦があります)。これらがいつしかあわせて考えられ、陰陽五行と呼ばれるようになったそうです。

三百六十日を木、火、金、水の神で4つに分割すると、一つの時節が九十日となります。しかし、これでは土の神の割り当てがありません。そこで先の四つの時節の終盤十八日間を土の神に分け与えることで、均等に一年を五分割(一つの時節に七十二日間)とします。こうして一年の均衡が保たれ、私たちが平穏に暮らすことができると考えられました。日照(陽)と降雨(陰)のバランス、そして時節のバランスある移ろいは、農業を基本とする私たちの暮らしに大きな影響を与えます。一見五穀豊穣とはまったく関係のない演出にみえる「地割」ですが、神々の調和を演出することで、平穏な一年と豊かな実りを祈るための祭典であることがわかります。

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