ローカル線沿線のみどころ 赤村より

Blog 筑豊見聞録

  田園風景の多い平成筑豊鉄道沿線は、季節の移ろいによりいろいろな光景を目にすることができる。その一つ赤村は、筑豊唯一の村で他の地域とは一味も二味も違う光景に出くわす。そんな赤村をカメラ片手に散策し、軽いエクササイズを兼ねた歩き方を提案いたします。

赤村の玄関口 油須原駅

油須原駅

 近代的な鉄筋コンクリートの鉄道駅が一般的となった今、木造駅舎の趣はほとんど目にすることがなくなった。筑豊地方にも10数年前まではちらほらと木造駅舎を見ることができたが、今では筑前植木駅(直方市)、採銅所駅(香春町)、そしてここで紹介する油須原駅と3つ残るばかりとなった。逆に考えれば貴重な存在ともなった木造駅舎、油須原駅から少し詳しくみてみよう。

 油須原駅は、明治28(1895)年に開業した旧豊州鉄道田川線(現在の平成筑豊鉄道田川線)の主要駅であった。現在では無人駅となっているが、古くは駅長以下10名前後が詰めかけていた。当時を知る人もからの話を聞けば、昼夜石炭や石灰を満載した貨物列車が行き交っていたという。このため構内が大きく整備され、通過列車が真ん中を走ることができるように考慮されている。そして、旅客を考えた場合に大きすぎるホームが印象的だ。

 駅舎そのものは、明治期の様式を色濃く残すものとして、懐かしさですら感じる。入り口から入ると窓口や改札口、そして待合室の風情が、その当時を偲ばせる。公式文献をみると、明治28年の開業から、明治34年に一度改築をしたとあるが、どれほどのものだったかは定かではない。その後、駅舎についての記録が確認されていないため、100年の時を超え現役の木造駅舎といっても過言ではないようだ。

 近年は口コミによる評判もあり、少なからず見学に訪れる人も見かける。記念スナップや四季折々の姿を写しに来る人が多くなってきた。ちなみに、映画やドラマなどの撮影で使われることもあり、待合室や改札口にはその時のセットがそのままとなっている。目にすることが少なくなった木造駅舎が今、その価値が見直され人々の手で見守られ活用されている。

待合室と改札口
プラットフォームと駅舎

レアなトンネルと鉄道橋

香春町の中津原から赤村を通過し、みやこ町へといたる田川線の沿線には、土手で築いた路盤が数キロに渡っての伸びている。このうち赤村にはその代表格といえる二つの文化遺産がある。それは、内田三連橋梁と石坂トンネルで、ともに国の登録有形文化財、かつ経産省認定近代化産業遺産として知られる。

石坂トンネルは、赤村とみやこ町の境となっている石坂峠を通る隧道で、赤村側から第1、第2と二つのトンネルがある。写真を見てのとおり、線路が単線しか敷かれていないにもかかわらず、トンネル出入り口の幅がその倍くらいの大きさとなっている。なぜか…

石坂トンネル第1隧道と橋梁脚部
石坂トンネル第2隧道

また、内田三連橋梁は、川の上流部(県道側)が整形された切石によって均一の面取りがされているのに対し、下流側(田んぼ側)はレンガがむき出しとなっている。しかもこのレンガの面は、レンガの組み方がそのまま凹凸となっていて、不思議に思う人もいるくらい。これもなぜか…

内田三連橋梁(下流側)
内田三連橋梁(上流側)

 それは単線として竣工したが、その当時から複線化を視野に入れた設計をしている証拠だと言われている。田川線は、田川伊田から掘り出した石炭を、行橋経由で門司港まで輸送することを目的に整備された路線。竣工当初は予算等の都合、どうしても単線での開業となってしまった。田川線を創設した旧豊州鉄道は、地元資産家を中心に資金を集めて生まれた株式会社で、営利団体としては資金面に余裕がなかった。そんな歴史的背景があって生まれた田川線、そこまでしても鉄道を造りたかった当時の人々の思いが、この一風変わったトンネルや橋梁のレンガに強く感じられる。

散策の後は癒しへ

散策後には、石坂トンネルの近くにある源じいの森温泉で汗を流すことができるので、上記のコースでちょっとした日帰りの旅をたのしめる。また、平成筑豊鉄道赤駅の近くからは「あかむらトロッコ油須原線」も運行するとあって、日程調整すればさらにたのしみが広がる。家族連れでもいつもの余暇の過ごし方とは違った、お財布にやさしい田舎満喫の旅にオススメです。

参考サイト

赤村トロッコ油須原線⇒http://www.akatoro.com/

源じいの森温泉⇒http://www.genjii.com/

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