九州と言えば焼酎というイメージが、全国的な認識かもしれない。しかし福岡には造り酒屋が多く、焼酎というイメージの影に隠れるかのように、レアな存在となっている。今回は、福岡の地酒、特に筑豊地方に続く地酒の醸造元を紹介しつつ、その逸品を活かしたガトーショコラをご案内しよう。
日本酒とゆかりの深い嘉麻市
突然かもしれないが、黒田節という民謡はご存じだろうか。福岡県を代表する民謡として、福岡県民はどこかで耳にしたことはあるもの。黒田節の由来について、以下の引用を参考としていただきたい。
ある日、黒田長政は酒好きの福島正則のもとに家臣の母里友信を使いに出した。友信もまた酒豪であったため、長政は酒の上での間違いを恐れ、杯を勧められても飲むことを禁ずる。
しかし、行ってみると案の定酔っ払っていた正則は、よい飲み相手が来たとばかり酒を勧めてきた。
固辞する友信に正則は「黒田の者は、これしきの酒も飲めぬのか」と執拗に酒を強い、巨大な大盃を出して「これを飲み干せば、何でも褒美を取らす」と言ったため、心を決めた友信はその杯を見事に飲み干し、褒美に正則が豊臣秀吉から下賜された自慢の槍の日本号を貰い受けた。
翌日、酔いがさめて青くなった福島正則は、使いをやって槍を返してくれるよう頼んだが友信はこれを断り、のちの朝鮮出兵に日本号を持参して武功をあげた。
※出典ウィキペディアより
関ヶ原の合戦前後で功績の高かった黒田官兵衛、長政親子は、それまで中津を中心とする旧豊前国を中心とした領国から、大幅増となり筑前へと移る。
福岡藩祖となった黒田長政は、筑前六端城(隣国との国境、要衝の地に築かれた6つの山城)と呼ばれる拠点を領内に整備した。このうちの二つが筑豊にある。益富城(嘉麻市)と鷹取城(直方市・福智町)がそれだ。
鷹取城の城主として任じられたのは母里太兵衛。上にある引用の物語に登場する「黒田節」のモデルとなった勇将。母里太兵衛は、黒田二十四騎のひとりで、かつ酒豪として名を馳せていた。
一方の益富城は筑豊に残る山城でも重要で、それにまつわる話も多い(詳細はコチラ⇒筑豊戦国戦記)。筑前黒田藩に関するところでは、当初後藤又兵衛(この武将も黒田二十四騎)が城主となり、のちに母里太兵衛も城主となっている。広大な城域は圧巻で一部石垣が残る。石垣が残る部分は、黒田藩によって増築されたものと言われる。益富城は鷹取城とともに、筑前黒田藩の「守り神」的存在であった。のちに1615年に発布された一国一城令によって破棄され、戦国時代の終焉をつげる出来事の一つと言える。
太平の世江戸時代、城のない益富城下には母里太兵衛の伝説にちなんでか、造り酒屋がいくつか生まれた。九州は焼酎というイメージが先行しがちだが、実は地酒には思いのほか多くの銘柄がある。現在の嘉麻市大隈には、大里酒造、寒北斗酒造などがあり、地酒をたのしめる。大隈の地は遠賀川の源流に近い平野部にあり、その清廉な水が日本酒の旨味を引き立てている。醸造する量は限られるものの、精魂込めた逸品はさわやかさすら感じる。
至宝の地酒、ガトーショコラとの出会い
こうした逸品はお酒に限らず、その特性をスイーツにも活かしている。筑豊に暮らす人々は一様に甘いものを好む人が多く、ちょっとしたスイーツ激戦区と言っても過言ではない。
例えば銘酒寒北斗をふんだんに使用した「寒北斗ガトーショコラ」などが、にわかに人気を集めている。炭坑隆盛期に甘い味付けや甘味ものが人々に重宝された時代があり、そうした背景が今日にも受け継がれているのかもしれない。深みのあるカカオの香りとともに、ほんのりとした甘みが絶妙なバランスのショコラは、何物にも代え難いと感じる人が多い。
このように考えれば、母里太兵衛が生んだ伝説が、形を変え今に受け継がれているように思えてくる。お城巡りをした後は、スイーツで一息、そしてお土産に地酒もいいのではないかな?
このガトーショコラはコチラのお店にお問い合わせください。詳しくはコチラ⇒Pattiserie ESPOIR
ついでにこちらもどうぞ⇒もののふの夢、筑豊戦記~中世・戦国時代~
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