廃線跡を楽しむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(油須原線)

Blog 筑豊見聞録

前回、「廃線跡を楽しむ旅」では上山田線跡を紹介しました。その先のトンネルを通って豊前川崎からさらに大任、赤へといたる廃線跡もある。これは油須原線として計画され、路盤や橋梁、トンネルの工事も終え、レールも敷かれた状態にあったにも関わらず、一度として列車が運行することはなかった。そんな油須原線、現在はどんな活用がなされているのだろうか。

油須原線の今をたどる

川崎町安宅にある旧国鉄油須原線跡

油須原線は大正時代に計画が持ち上がり、古河鉱業の大峰(現在の川崎町と大任町に広がる炭坑)、峰地(添田町)の各炭坑をへて、赤村の油須原駅付近で田川線と接続される予定だった路線だ。その跡地をたどれば熊ヶ畑から豊前川崎へと向かうトンネルを抜け、現在の川崎町には油須原線の路床となっていた跡が遊歩道、サイクリングロードとなっている。

訪れる人も少なく、ひっそりとしたなかに溶け込むようにある遊歩道、サイクリングロードは、原生林のなかに突然あらわれ、存在感は失われていない。活用を企画するとなれば、ウォーキングやトライアスロン、マウンテンバイクのレースといった企画や、スマートフォンアプリでゲーム(ポケモンのような)といったところであろうか。そのアプローチはいくつかあるものの、現実的には難しいかもしれない。

添田町と大任町の境界あたりに残る彦山川橋梁

もう一つ、紹介したいのが彦山川上にかかる鉄道橋。橋梁は今でもしっかりとした状態で残っている。詳しい人に聞いたところには、解体するにもあまりに基礎部が頑丈すぎて巨額の費用がかかるためにこのままとなったとか…知らなければなぜこんなところに橋だけが残っているのかと、不思議に思う人もいるだろうと思う。

この橋梁をさらに大任町の中心部方向に、遊歩道が整備されている。これが油須原線の名残で線路は撤去され、路床だけが当時の面影を残している。4月には両脇に植えられたサクラが見事に咲き誇り、人々を楽しませてくれる。廃線跡の活用事例としては珍しいものではないが、町に明るさと活気をもたらすものとして注目される。

これほどまでに整備活用しているのなら、橋梁も同じように花であでやかに飾ってもいいような気もするが…近年大任町は道の駅おおとう桜街道を中心として、花によって町全体を明るくしようとする取り組みがなされている。この一環として橋梁を花で飾るのも廃線活用となり、ただ朽ち果ててゆくのを待つより筑豊の歴史の1ページを残すことへとつながる。

豊前川崎から大任の区間は、古河鉱業の鉱区内を通過するため、その開業には路線下に位置する坑内からの採炭が危険になる。このため、その補償交渉に長い年月がかかり、開業を先送ってしまう結果となった。交渉成立後、ほどなく路盤やトンネル、橋梁などができあがったにも関わらず、時代は石炭から石油へとエネルギーの転換。採算が見込めなくなったため、油須原線は開業することもなく廃線となった。つまり、廃線というよりは厳密には未完成のまま廃止された未成線で、全国各地に数少ない珍しい事例である。

あかむらトロッコ油須原線として再出発

話をもう一度跡地へと向けよう。大任町を経由する油須原線は、一路赤村方面へと向かう。町村の境には丘陵地帯となっているため、トンネルが造られた。

赤村に残る油須原線の路盤と橋梁

写真に見る路床に向かって左奥が野原越しトンネル。ここから伸びる鉄路は、今の平成筑豊鉄道赤駅付近で連絡する。そして目的地の油須原駅へといたる。このあたりはトンネル、橋梁ともに昭和33年竣工当時の姿とほぼ変わらぬたたずまいとなっている。

上山田線そして油須原線は、ともに筑豊の山間合いにある各炭坑を経由して、苅田港を目指し石炭を輸送する予定だった。それは、飯塚と田川からの路線が直方に集結し、そこから若松港へと輸送される従来の輸送が飽和状態となっていたためと指摘されている。

太平洋戦争前に開港した苅田港からの海運に期待をよせていたが、度重なる工事延期に完成は大幅に遅れ、念願かなった時にはすでに炭坑は相次いで閉山。時代に翻弄される形となった上山田線、油須原線。山間という条件が好転して、廃線跡としては非常に良好な状態で今に残る。この意味では筑豊の歴史の生き証人であり、かつ他では見ることのまれな産業遺産と言える。


あかむらトロッコ油須原線(出典元:鉄道ニュース週報)

そして今、赤村の赤駅(平成筑豊鉄道)の前から、野原越しトンネルまでの売り返し運転で「あかむらトロッコ油須原線」が月1回(3~11月)間隔で運行されている。この二つの廃線跡で同じトロッコが運行し再活用されるのも、筑豊に炭坑があったという過去にあやかってのことだろうか。こちらも家族連れを中心に喜ばれ、微笑ましい光景となっている。

・あかむらトロッコの詳細はこちら⇒赤村トロッコ油須原線

今ともにトロッコが運行され、筑豊のあらたな活路として脚光を浴びながら、過去の歴史をメッセージとして語りかけている上山田線と油須原線。二つの廃線跡が、これからも一人でも多くの人々の喜ぶ姿を演出してもらいたい。

上山田線、油須原線の路線図

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