10月に行われた直方秋のまつり、直方山笠、そして花火大会、それに加え多賀神社御神幸についての記録をメモリアルとして残しておきたいと思います。
コロナ禍の影響や諸般の事情により、なかなか開催できなかったこれらのイベント
特に、多賀神社御神幸は今回約30年ぶりの開催となったこともあり、めったにお目にかけることのないお祭りもありました。
直方山笠
直方山笠は、江戸時代に直方藩主によって再興された多賀神社の御神幸(福岡県指定無形民俗文化財、後述に詳細)に供奉したのがはじまりといわれる伝統行事です。
三年ぶりの開催となった今年は10月8・9日に行われ、多賀神社での神事の後、古町中区、古町北区、新町祇園、多賀区の4地区の笹山笠が集まりました。
最近では無病息災を祈る多賀神社の「夏越祭」と須賀神社の「祇園祭」に合わせ、山笠を奉納するようになりました。
それゆえ本来は7月に行われる祭りですが、このたびはコロナ禍の影響や諸事情により、10月におこなわれました。
明治時代には石炭産業の隆盛によって祭りも盛大に行われたようで、高さ17mを超える巨大で絢爛豪華な山笠をゆっくりと練り歩き、賑わいあふれる商店街をさらに活気立てたと言います。
山笠は、人形を配置しているところは博多の祇園山笠と同じですが、一部研究者や郷土史家の方からは「直方系」と呼ばれたりします。黒崎をはじめ、糸田、金田など田川地域の一部にも似たような様式の山笠を目にすることができ、遠賀川の中華流域に広まっているようです。
地域の中でそれぞれに趣向が凝らされ、時代の変化に適応しながら現代の姿へと発展しました。 そうした視点で、各地の山笠の共通点や違いを探してみるのも、地元のお祭りの楽しみ方だと思います。
当日の悪天候にも関わらず、多くの見物客が見守る中、勇壮に駆け抜けた曳き手の心意気が印象的でした。時折みせるかぶりも迫力があり、人々の熱い思いが伝わってくるのがわかります。
直方花火大会
6000発の大小の花火を、遠賀川の河川敷で見れる恒例行事として知られます。こちらも夏場におこなわれるものですが、次にお話しする多賀神社神幸祭に合わせて今年は開催されました。
当日はあいにくの雨模様でしたが、色とりどりの華の環が夜空をきれいに演出していました。
名物の約1㎞に及ぶ「ナイアガラの滝」はやはり見ごたえ十分。
地域の人たちや、各種団体、企業に支えられて、降りしきる強い雨にもかかわらず盛大な花火大会となりました。
多賀神社御神幸
かつて福岡藩にあった直方には、その支藩がおかれ直方藩として統治されていた時代があります。
その直方藩の氏神として崇められた多賀神社で行われる祭典が、多賀神社御神幸です。福岡県指定無形民俗文化財としてその価値を認められたものです。
直方藩四代藩主黒田長清の時代(1700年ごろ)に始められたとされています。
平安時代からの伝統的な装束を身にまとった氏子たちが、数百名集まり幾重もの列を連ねて直方市街地を練り歩く様子は、福岡県内でも珍しいことで知られます。このようなことから、福岡県指定無形民俗文化財として認められた価値があります。
本来は4年に一度、10月に開催される恒例行事でしたが、現在は人手不足や少子高齢化の影響によって、不定期の開催となっています。
2020年に開催を予定されていましたが、コロナ禍の影響によって中止を余儀なくされました。
このような経緯のもと、今回は満を期しての開催となりました。
祭りは、多賀神社での式典後に、神様を神輿に迎えて丘を下り、直方の市街中心部を目指します。
ちなみに多賀神社は、祭神として伊邪那岐尊と伊邪那美命を祀ります。城下町直方を鎮守する守護神で、南北朝時代(今から700年くらい前)の記録が残ります。健康長寿や開運厄除け、縁結びや家内安全などのご利益で知られ、地元住民からも親しまれています。
丘を降りて神輿が行列に加わって、宮司を先頭に長さ数百メートルにわたって商店街を練り歩きます。その出立は、袴や白装束、帯刀や幟を手にしたりと、日本古来の衣装です。時には馬、牛などもみられ、さながら江戸時代の大名行列を目にしているようです。
行列は、周囲に神気を振りまきつつ、無病息災、家内安全、天下泰平などの祈願を込めながら歩みを進めます。
その後ろからは、4地区の山笠が随伴し、活気に満ちた氏子たちの様子が感じられます。
コロナ禍で閉塞感が重苦しい状況が続く中、直方の街には画期と賑わいに満ちたことを、ここに記憶しておきまたいと思います。
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