地域の氏神様をはじめ、郷社と呼ばれる神社を巡るとその地域独特の歴史や風土を感じるところがあります。ここでは、直方市や鞍手郡にあるパワースポットを少しだけ詳しくみてみましょう。近くに訪れることがあったら、ぜひご活用ください。
多賀神社(直方市)
直方市の市街地を一望する小高い丘に立つ多賀神社は、城下町・直方の産土神(うぶすながみ)、総鎮守として信仰されてきた。
創建年代は不詳であるが、古くは「日若宮」、また現在地より南の妙見山(御館山)にあり「妙見社」とも呼ばれたという。
元和九(1623)年に福岡藩の支藩として東蓮寺藩(直方藩)が成立した後、その歴代藩主に篤く保護された。
天和年間(1681〜84)、初代藩主・黒田高政が社殿を改修。四代藩主・長清が一度廃藩になった直方藩を再興し、妙見山に新しい館(直方城)を築造する際、現在地に社殿を移築した。
そして元禄五(1692)年、藩主の命を奉じ、当時の宮司が朝廷に願い出て社名を多賀神社(多賀大明神社)に改めた。
多賀神社では三年に一度、十月中旬に御神幸行事(県指定無形民俗文化)が開催される。現在は少子高齢化のあおりを受け、不定期開催となっている。
藩主・長清の時代に、当時の宮司が京都・加茂神社の葵祭りに倣って始めたものという。色とりどりの衣冠束帯姿の行列が町を練り歩き、平安絵巻さながらの趣である。
また、神社に伝承されてきた日若舞や日若謡に由来するという日若踊(県指定無形民俗文化財)も奉納される。
境内には貝原益軒(かいはらえきけん)銘の鳥居、見事「黄玉樹」(県指定天然記念物)なども残る。
鳥野神社(直方市)
鳥野神社は、直方市東方の山麓、内ケ磯ダムのそばに鎮座する。白鳳期(七世紀後半)、英彦山修験の流れを汲む釈教順が中嶽(福智山)山頂に福智権現を祭祀したことに由来するという。
福智山は筑前・豊前の国境に位置することから、かつて両国により福智権現が祀られていたが、天正年間(1573〜92)に分社された。
山頂には現在も、鳥野神社(筑前側)・福智中宮神社(豊前側)の上宮の祠がある。慶安年間(1648〜52)、現在地に本殿が造営された。
神使いは鳥とされており、明治三十九(1906)年に鳥野神社に改称。
福岡藩三代藩主・黒田光之や直方藩四代藩主・黒田長清らによる再興の記録もあり、武将の信仰が篤かったことが窺える。
六嶽神社(鞍手町)
鞍手町、直方市、宮若市にまたがる六ケ岳(339m)の麓に鎮座する六嶽神社。六ケ岳は六つの峰からなり、その一つ崎門山は田心姫(たごりひめ)・濡津姫(たぎつひめ)・市杵島姫(いちきしまひめ)の神、いわゆる宗像三女神の降臨地という伝承を持つ。
宗像大社との関係も深く、鞍手町室木はかつて宗像郡の一部であった。
中世以降は当地の産土神、また安産や交通安全の守護神として広く信仰を集めた。
『筑前国続風土記附録」によれば、境内地はかつて六ケ岳の山上にあったが、永禄年間(1558一70)以降、戦乱などで荒廃し、宝永二(1705)年に村人らが現在地に移築したという。
田んぼの中に立つ鳥居をくぐって石段を上ると、木々に囲まれた清閑な参道が続き、身も心も癒される。
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