Blog 筑豊見聞録炭坑遺産、今となっては珍しい資産として 「鉱山探索者」とも称される鞍手町の山尾浩三さん(38)は、奇特な人である。あくまでも趣味で、これまでに訪れた全国の鉱山跡地や遺構は700カ所余り。写真を撮り、地元のおじいちゃんやおばあちゃんに話を聴く「鉱山や炭鉱のことを語り継いでいってほし...2021.05.19Blog 筑豊見聞録オピニオンふるさと筑豊の歴史未分類近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録キュウロクと呼ばれたSL 鉄道と筑豊の深い関わり かつて日本国内を縦横無尽に疾駆していたSL。今では観光等に活用されている一方で、管理上の問題となっているものもある。筑豊地方にも静態保存された状機関車は他地域に比べて多いかもしれない。炭坑の発展に大きく寄与したSLたちの知られざるエピソードがあまたあるうち、9600型と言われるものの最後の物語をここで紹介したい。2021.04.17Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録炭坑跡からのメッセージ 製鉄所(日鉄)二瀬出張所跡から 大小300以上の炭坑(ヤマ)を数えた筑豊炭田が、なぜこれほどまでに発展したのか。それは北九州市の八幡製鉄所が、1901年に操業したことが大きい。「鉄は国家なり」というスローガンのもと、近代化を目指した日本。それは製鉄によるところが大きいが、それは筑豊の炭坑がなければ到底実現しなかった歴史かもしれない。2021.03.01Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史赤レンガの煌き近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録異色の蒸気機関車 アルコ22・23号の軌跡 静態保存されているアルコ22・23号は、ともに貝島炭礦で活躍した縁の下の力持ち。そんな2両のアルコを紹介します。2021.02.22Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録筑豊炭田の炭鉱跡もう一つの象徴、旧三井田川六坑ボタ山 ボタ山、それはかつて炭坑内から石炭を採掘する際に出る捨石が、長い年月をかけて積み上げられた人工の山。筑豊富士として親しまれる忠隈のボタ山は有名だが、他には残っていないのだろうか…ここでは知られざるもう一つのボタ山を紹介したい。2020.09.29Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史炭坑が生み出した文化筑豊の歩き方近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録炭鉱(ヤマ)の光と影 筑豊炭田年代記 この稿では、筑豊炭田という巨大な文化遺産に親しみをもってもらうため、その大まかなストーリーを年代記風に書き示し、あわせて華々しい栄華の影に隠れがちな部分を先人たちの教訓としてまとめてみたい。2020.09.03Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史文化遺産筑豊の歩き方近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録地中からのメッセージ 生きていた炭坑跡 原口炭鉱大門坑跡、その宿命とは? 日本随一の産炭地とも言われ、日本の近代化をエネルギーという側面から支えた筑豊炭田。それは最盛期には300を超える大小の炭坑が乱立していた。その象徴として旧目尾炭鉱や旧三井田川鉱業所などがあり、それらは国重要文化財(史跡)として認められた価値がある。この一方で同じ炭坑跡でありながら、脚光を浴びる機会の少ないものもある。今回は、そのうち原口炭鉱大門坑跡をクローズアップしてみよう。2020.06.24Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録ボタ山 今なお生き続ける筑豊のシンボル 大小300を超える炭坑があまた乱立した昔、この地にはボタ山と呼ばれた人工の山がいくつも生まれた。これが由縁で、炭坑のことをヤマと呼ぶこともある。そのボタ山は炭坑なき今であっても、筑豊地方に住む人々の心の中にしっかりと生きている。そこに秘められたドラマとは?2020.05.27Blog 筑豊見聞録文化遺産炭坑が生み出した文化
Blog 筑豊見聞録炭坑王の豪邸 伊藤伝右衛門邸、地域のシンボルとして 約100年近くにわたって飯塚、そして筑豊の行く末を見守ってきた伊藤伝衛門邸、そこにまつわるストーリーを踏まえながら、今どんな役割をになっているのでしょうか。2020.02.27Blog 筑豊見聞録ふるさと筑豊の歴史炭坑が生み出した文化近代化産業遺産
Blog 筑豊見聞録世界遺産登録勧告とこれからの筑豊 2015年5月5日付け西日本新聞朝刊 ICOMOS(世界記念物遺跡会議)はユネスコ(国連教育科学文化機構)に対し、九州・山口の近代化産業遺産群を含む「明治日本の産業革命遺産」について、世界文化遺産への登録を勧告した。このニュースは多くの人が...2015.05.09Blog 筑豊見聞録オピニオンふるさと筑豊の歴史近代化産業遺産