【神話のなかの筑豊①~神功皇后の足跡~】


 日本の郷土にはどこにもある言い伝えや伝承。それは、いつしか人々によって語り継がれ、今の私たちの暮らしにひっそりと寄り添うように生きている。
 
 それは、筑豊においても例外ではない。筑豊に残る言い伝えの中でも、日本神話に関わるものが、私たちの暮らしの身近にある。そこで今回から数回にわたって、筑豊の神話を題し筑豊地方に残る言い伝えの代表格をお話ししたい。
 
 
 
 サブタイトルに示した「神功皇后」とは?その存在について、研究者間でも賛否にわかれ、いまだ謎の人物。
 
EmpressJinguInKorea_convert_20131224070746.jpg
(明治時代の絵図に描かれた神功皇后)
 その「神功皇后」の足跡が、実は筑豊に数箇所ある。
 
 神功皇后は、仲哀天皇(第16代)の妃で応神天皇の母。聖徳太子の時代より前の人物とされ、正確な時代は不明。卑弥呼ではとする研究者もいるが、その後継者の女帝壹与(とよ)とする人もいる。
 古くから朝鮮半島にもっていた日本の権益と、近隣地域との関係悪化により、朝鮮半島に軍を派遣した(三韓征伐)。その陣頭指揮をした人物が神功皇后。男顔負けの強い女性として伝わる。
 
 ここで気付く方もいるかと思います。神功皇后の夫、仲哀天皇の「仲哀」という名は、現在香春町とみやこ町の境界付近にある峠や地名と同じ。それは仲哀峠(香春町からみやこ町。通称「七曲峠」)、仲哀天皇平(みやこ町勝山)という地名の由来が天皇と関係があるのではと疑問を持たせる。
 
010_convert_20131224070050.jpg
(仲哀峠の今:香春町側から)
006_convert_20131224070003.jpg
(額に記された「仲哀隧道」)
 仲哀天皇も実在が疑問視されているが、日本書紀・古事記にはしっかりと明記された天皇。
 
 言い伝えによれば、仲哀天皇は神功皇后とともに半島への向かう途中、半島へ軍を派遣することに難色を示した。このため、天命によりこの地で崩御したという。
 
 この死は、人によっては不可解な突然死とも言われ、暗殺や謀略等も背景にあるという。この故事にちなんで、仲哀峠や仲哀天皇平などの呼び名が今に残る。
img_978552_24537838_11.jpg
(仲哀天皇平:みやこ町側)
img_978552_24537838_6.jpg
(仲哀峠より行橋方面をのぞむ)
 この仲哀峠、トンネルも含め心霊スポットとしても知られる。因果があるかは定かでないが、仲哀天皇の奇妙な死に関係しているのかもしれない。ミステリーに満ちた仲哀天皇の突然の死、そして、無念の仲哀天皇のたたりを恐れた人々が、その霊を弔うためにて語り継がれている。このとき神功皇后の心境はどのようなものであったのか…
 
 それでは次回、神功皇后と筑豊にどんな関係があるのか、神話をとおしてふれてみよう。ミステリー発見筑豊版、期待しててくださいね。(^o^)/

コメント

  1. 甲斐 より:

    SECRET: 0
    PASS: 74be16979710d4c4e7c6647856088456
     はじめまして、私は飯塚出身者の甲斐と申します。先ほど、黒岩重吾氏の「女龍王神功皇后」を読了しました。古代日本史は本当に謎と魅力に満ちてますね。そして、今後も貴ブログを楽しく読ませていただきます。 拝

タイトルとURLをコピーしました