みなさん、こんにちは。
これまでいくつかの回に分けて、筑豊の自然遺産についてお話してきました。筑豊県立自然公園と九州自然歩道にふれながら、これらと関連のあるものについてあまり知られていない部分にクロースアップしてきましたが、いかがでしたでしょうか。
今回でシリーズが終わります。なんて感じを彷彿させる書き出しですが、まだ書くネタはありますよ。
もちろん、みなさんからの意見もあれば、投稿記事の内容に反映したいと思います。ぜひ是非、ご意見お寄せくださいませ。
それでは、今回の自然遺産についてお話します。
今回の自然遺産は、「大坂」です。
田川地域には、香春町と赤村の境界となっている飯岳山(大坂山)があるのはご存じだと思います。飯岳山といわれてもピンとこない、むしろ大坂山という名前の方が親しみあるという方も多いかもしれません。
「大坂」といえば阪神地方の中心地を思い出す人も多いでしょう。しかし、「大坂」という地名は、日本各地にあります。
郵便番号表に見るだけでも、北は福島県二本松市から南は徳島県板野町まで8カ所あるそうです。これ以外にも郵便番号には載せられていない地名として、「大坂」という名称は全国各地にあるようです。
田川にある「大坂」は、九州自然歩道の沿線にあたり、筑豊県立自然公園の中にあります。
仲哀峠から呉川眼鏡橋、呉平中雪穴を経て九州自然歩道は、香春町と赤村、そして京都郡みやこ町の境界となる大坂山(飯岳山)にいたります。
この大坂山は、意外と古い歴史があるのをご存知でした?
『橘為仲朝臣集(たちばなためなかあそんしゅう)』というものがあります。この橘為仲という人物は、京の中流貴族だったそうです。その為仲が任国に受領(「ずりょう」と読み、地方官)として赴く際に記した和歌集がこれです。
これには、豊前方面から太宰府を目指して大坂を越える時、為仲が歌をしたためたことが記されています。つまり、当時の貴族も通る程の主要交通路が大坂峠ということになります。
私たちの郷土には知られざる歴史、由緒が残っていることに驚きです。
全国に残る「大坂」という地名は、「逢う坂」という言い方が転化したと考える専門家もいます。つまり、国の異なる者どうしが待ち合わせる場所として、「逢う坂」といわれ境界として位置づけられたのではということだそうです。
ちなみにこの旧道は、写真のように今も人が往来できます。
今回は、自然遺産に秘められた古い歴史にふれてみました。次回もよろしくお願いします。
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