ふるさと筑豊の歴史

スポンサーリンク
Blog 筑豊見聞録

廃線跡をたのしむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(添田線)

不採算路線とも言われ、一時期全国各地で経営合理化という名目で、廃線へと追い込まれたローカル線。筑豊炭田が役目を終え炭坑がなくなった後、それを追うように利益の見込めない路線が次々と消えた。今回紹介する旧国鉄添田線もそのひとつ。そこにある昔と今のストーリーを伝えたい。
Blog 筑豊見聞録

廃線跡を楽しむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(宮田線)

筑豊で廃線跡の話をし始めると結構ボリュームが多く、その内容も濃厚なものがほとんど。そんな中でこの稿では、宮田線に焦点を当ててみよう。巨大な炭坑を中心に社会が展開した貝島王国と言われたほどの地域、そしていくつもの連結貨車を連ねて行き来した路線、その旅はどんなものになるだろうか。みなさんをご招待いたします。
Blog 筑豊見聞録

廃線跡を楽しむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(油須原線)

前回、「廃線跡を楽しむ旅」では上山田線跡を紹介しました。その先のトンネルを通って豊前川崎からさらに大任、赤へといたる廃線跡もある。これは油須原線として計画され、路盤や橋梁、トンネルの工事も終え、レールも敷かれた状態にあったにも関わらず、一度として列車が運行することはなかった。そんな油須原線、現在はどんな活用がなされているのだろうか。
Blog 筑豊見聞録

廃線跡を楽しむ旅 ローカル線に秘められたストーリー(上山田線)

炭坑最盛期には筑豊地方に網の目のように張り巡らされた鉄道網は、今や半分以下になり当時の面影はほとんどなくなってしまった。しかし、中には線路も残り、鉄道が行き来してもおかしくないような場所もある。そのひとつ、上山田線をここでは紹介したい。
Blog 筑豊見聞録

神話を訪ねる旅 神功皇后の足跡を追って 田川・赤へ

炭都田川市と筑豊地方唯一の村赤村に伝わる神功皇后の伝承は、ともに「御腰掛石」という共通点がある。福岡県にはこの「御腰掛石」と伝わるものがいくつかあるが、田川・赤の二つの地に残っている言い伝えから、みえてくるものはどんなものであろうか。
Blog 筑豊見聞録

神話をたどる旅 神功皇后の足跡を追って 飯塚市大分へ

神功皇后の足跡は、筑豊地方に数多く残ります。その一つ、福北ゆたか線筑前大分駅(飯塚市)から車で約20ほどの距離の山間にショウケ越し、徒歩で約15分程度のところに大分八幡宮という神社があります。このふたつの場所に残した神功皇后の足跡はどんなものでしょう。
Blog 筑豊見聞録

旧直方駅舎車寄せ 新たな名所へ 新時代の鉄道のまちづくり

数年前、旧直方駅舎の解体が決定しこれに対して保存運動も起きたが、新駅舎の完成と駅前周辺の再開発となった今、あらためて旧駅舎の車寄せ部分が復元されお披露目となった。かつては「鉄道のまち直方」とも言われたその歴史を、次の世代に語り継ぐための復元と言われているが、その課題はどんなところにあるのだろうか。
Blog 筑豊見聞録

神話をたどる旅 神功皇后の足跡を追って 香春へ

日本の郷土にはどこにもある言い伝えや伝承。それは、いつしか人々によって語り継がれ、今の私たちの暮らしにひっそりと寄り添うように生きている。それは、筑豊においても例外ではない。筑豊に残る言い伝えの中でも、日本神話に関わるものが、私たちの暮らしの身近にある。シリーズとして筑豊の神話と題し、地域に残る言い伝えの代表格をお話ししたい。その主な登場人物は、神功皇后と呼ばれる女王だ。
Blog 筑豊見聞録

地中からのメッセージ 生きていた炭坑跡 原口炭鉱大門坑跡、その宿命とは?

日本随一の産炭地とも言われ、日本の近代化をエネルギーという側面から支えた筑豊炭田。それは最盛期には300を超える大小の炭坑が乱立していた。その象徴として旧目尾炭鉱や旧三井田川鉱業所などがあり、それらは国重要文化財(史跡)として認められた価値がある。この一方で同じ炭坑跡でありながら、脚光を浴びる機会の少ないものもある。今回は、そのうち原口炭鉱大門坑跡をクローズアップしてみよう。
Blog 筑豊見聞録

直方 地名の由来 ちょっと深い話

「直方」と書いて「のおがた」と読む。これはここに住んでいる人、あるいはその近くに住む人にとっては当たり前かもしれないが、全国的にみるとこの読み方は珍しいかもしれない。他地域から移り住んでいる人たちから聞くと、最初は読めなかったという人が多い。その読み方もさることながら、その由来にもちょっとした深いものがある。ここでは「直方」の地名について、うんちく話をできるだけ簡単にお話ししたい。
スポンサーリンク