嘉麻市で起きた日本炭鉱史上最大級の惨事 山野炭鉱ガス爆発事故と練習坑道

Blog 筑豊見聞録

静かな町を揺るがせた、あの日の衝撃――。1965年、嘉麻市で起きた山野炭鉱ガス爆発事故は、一瞬で数百人の命と町の運命を変えました。なぜ、何が、どうして起きたのか?ここでは、知られざる現場の画像や今も語り継がれる記録から、当時の様子を詳しくみていきましょう。

山野炭鉱爆発事故とは――嘉麻市で起きた日本炭鉱史上最大級の惨事

山野炭鉱(出典:津軽軽便堂写真館

1965年6月1日、福岡県嘉麻市(当時は嘉穂郡稲築町)の三井山野炭鉱で発生した爆発事故は、日本の炭鉱史に深い爪痕を残しました。

山野炭鉱爆発事故は、552人が坑内で作業する中、237人もの尊い命が奪われた戦後最大級の炭鉱事故の一つです。

事故から60年が経過した今、その記憶と教訓を未来へとつなぐことが、地域社会にとって大きな課題となっています。


事故発生の経緯と概要

1965年6月1日正午過ぎ、福岡県嘉麻市の三井山野炭鉱で発破作業中に坑内のメタンガスが噴出し、何らかの火花が引火して大規模な爆発が発生しました。

爆発は坑道内の空気の流れ(入気坑道)で起きたため、有毒な一酸化炭素が深部に流れ込み、多くの作業員が逃げ遅れました。事故当時、坑内では552人が作業しており、237人が死亡、38人が負傷するという甚大な被害となりました。

爆発の瞬間、坑口からは黒煙が立ち上り、現場には救助隊や家族が駆けつけ、安否を確かめるために必死の捜索が続きました。

遺体は近隣の幼稚園や保育園に次々と運び込まれ、静まり返った室内に並べられた光景は、今も語り継がれる衝撃的な事実です。犠牲者の多くは一酸化炭素中毒によるものでした。事故の規模と被害の大きさは、全国に大きな衝撃を与えました。


被害の詳細――失われた命と地域社会の悲しみ

山野炭鉱爆発事故で失われた237人の命。その多くは、家族を支えるために日々厳しい労働に従事していた炭鉱労働者たちでした。

事故発生直後、遺体は近隣の幼稚園や保育園に安置され、家族や地域住民が静かに涙を流しながら見守りました。幼い子どもたちや妻たちが、父や夫の帰りを待ち続ける姿は、当時の新聞や写真にも記録されています。

また、事故の影響は被害者だけでなく、地域社会全体に及びました。多くの家族が突然生活の糧を失い、地域経済やコミュニティにも深刻な打撃を与えました。遺族や生存者の証言には、「もし夫が出勤していたら…」「同じ長屋の住人も犠牲になった」など、事故がもたらした喪失と苦悩が色濃く残されています。


山野炭鉱と筑豊炭田

山野炭鉱は、筑豊炭田の主要鉱山の一つとして、明治時代から日本の近代化と高度経済成長を支えました。1898年に開山した山野炭鉱は、三井鉱山(現・日本コークス工業)の主力炭鉱として発展し、最盛期には多くの労働者とその家族が炭鉱住宅で暮らしていました。

しかし、戦後のエネルギー政策の転換や石炭需要の減少、そして度重なる事故によって、筑豊炭田は1970年代に入ると次々と閉山へと向かいました。山野炭鉱も1973年に閉山し、長い歴史に幕を下ろしました。

山野炭鉱(出典:津軽軽便堂写真館

事故の社会的影響と教訓

山野炭鉱爆発事故は、単なる労働災害にとどまらず、日本の産業史と労働安全の在り方に大きな影響を与えました。

事故後の調査では、ガス自動警報装置の未設置やガス排出措置の不備など、会社側の安全管理体制の遅れが指摘されました。これを受けて、遺族や被害者側から損害賠償請求訴訟が起こされ、1989年までに和解が成立しています。

また、この事故を契機に、全国の炭鉱や工場での安全対策が見直され、労働災害防止のための法整備や技術革新が進みました。山野炭鉱事故は、日本の労働安全意識の転換点となったのです。


山野炭鉱練習坑道――安全教育と技術継承の象徴

山野炭鉱の歴史を語るうえで欠かせないのが、「山野炭鉱練習坑道」の存在です。

これは、実際の採炭現場を模した訓練用の坑道で、炭鉱労働者の技術向上や保安・救護訓練のために設置されていました。

練習坑道では、坑内作業の基本から緊急時の避難・救助まで、命を守るための実践的な教育が行われていたのです。

現在も嘉麻市内には、旧三井山野鉱業学校の練習坑道跡が残り、レールや炭車など当時の設備が保存されています。こうした施設は、炭鉱労働の厳しさと安全教育の重要性、そして事故の教訓を現代に伝える貴重な歴史遺産として、地域の記憶を支え続けています。


慰霊と継承――事故から60年、今私たちにできること

事故から60年が経過した現在も、嘉麻市内の炭鉱跡地には犠牲者を慰霊する碑が設けられ、地元の人々や遺族会による慰霊活動が続いています。

毎年6月1日には慰霊式が行われ、語り部や遺族が事故の記憶と教訓を語り継いでいます。地元の学校でも、語り部による講演や慰霊行事が行われ、若い世代に事故の歴史が伝えられています。

また、SNSやウェブメディアを通じて、事故の記憶を広く発信する取り組みも始まっています。事故の現場写真や証言をビジュアルコンテンツとして共有し、現代の人々に「知る」「考える」きっかけを提供することは、記憶の継承と社会的意義の再発見につながります。


まとめ――山野炭鉱爆発事故の教訓を未来へ

山野炭鉱爆発事故は、地域社会に深い傷を残しただけでなく、日本の産業史と労働安全の転換点となった出来事です。事故の記憶と教訓を風化させず、次の世代へと伝えていくことが、今を生きる私たちに課せられた使命です。

写真や証言、慰霊の場、そして練習坑道跡などの歴史遺産を通じて、あの日の現実にもう一度目を向けてみませんか。

西日本新聞筑豊版より(2025年5月29日付け)

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