文化遺産

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Blog 筑豊見聞録

ボタ山 今なお生き続ける筑豊のシンボル

大小300を超える炭坑があまた乱立した昔、この地にはボタ山と呼ばれた人工の山がいくつも生まれた。これが由縁で、炭坑のことをヤマと呼ぶこともある。そのボタ山は炭坑なき今であっても、筑豊地方に住む人々の心の中にしっかりと生きている。そこに秘められたドラマとは?
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上野で生まれた現代美術 上野焼八幡窯世良彰彦さんの挑戦

小倉小笠原藩の庇護のもと、江戸時代から脈々と続きやきものの文化。それは上野焼と呼ばれ、筑豊では高取焼とともに伝統工芸として知られている。ともに400年の歴史をもち、この意味では有田焼や伊万里焼とも並ぶものでもある。 上野焼は今協同組合をはじ...
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名菓ひよ子 生まれも育ちも東京!?

「福岡みやげに名菓ひよ子」と書くとやはり、「ひよ子って東京みやげじゃなかった!?」と返ってくることが多い。名菓ひよ子が持つイメージとネームバリューは、やはり東京というのが強いのでしょう。しかし本来名菓ひよ子は、福岡県の飯塚市の生まれ。ひよこ本舗吉野堂が明治30(1897)年創業したことに始まります。ということはどちらの名菓なのでしょう?
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炭坑王の豪邸 伊藤伝右衛門邸、地域のシンボルとして 

約100年近くにわたって飯塚、そして筑豊の行く末を見守ってきた伊藤伝衛門邸、そこにまつわるストーリーを踏まえながら、今どんな役割をになっているのでしょうか。
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池田エライザさんが初監督作品『夏、至るころ』でとらえた筑豊

池田エライザ初の監督としてデビューとなる映画『夏、至るころ』のポスターが発表されたました。この作品は、地域の「食」や「高校生」とコラボした青春映画制作プロジェクト『ぼくらのレシピ図鑑』(制作会社映画24区)の第2弾として位置づけられています。今回は福岡・田川が舞台(前回の第1弾は兵庫県加古川市)となり、田川市やその市民の方々も交え映画化されているようです。公開に向けて、今エライザさんがどのような心境にあるのかを、ウェブ上のコメントから伺ってみましょう。
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池田エライザ初監督作品 『夏、至るころ』 伝えたい思い

今年公開予定の『夏、至ること』、池田エライザさんにとっては初の映画監督作品となる。みずからメガホンを握ってまでして、伝えたかった思いとは?
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筑豊幻想即興曲No.1 アーチスティックな田川市石炭記念公園

これは、田川市の石炭記念公園の画像 見方を変えるだけで、これだけの光景を目にすることができる。 竪坑櫓の夜景 これはもはやアートの世界 この画像を見せられれば、筑豊にも芸術と言えるものがあふれていることがわかる。 こんな景観は、日本はおろか...
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ボタ山という炭坑の遺産を、文化遺産という資産として

ボタ山と聞いても筑豊に住む人なら聞き慣れた言葉だが、それ以外の方々にはあまりなじみのない言葉かもしれない。炭鉱がなければできることがなかった人口のヤマ、これを未来にむけて活用していくにはどのようなアプローチがあるのか考えてみました。
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岩戸神楽とは?大内田神楽から、その世界観に迫る。

豊前岩戸神楽(国の重要無形民俗文化財)一つのひとつとして数えられている、赤村の代表的な民俗芸能大内田神楽。その演目の中でもとりわけ人気のある岩戸の舞を、2015年に撮影したものから、その内容を理解し、どんな世界観があるのかにふれてみましょう。きっと、神楽という芸能がもっと身近に感じられますよ。
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木造駅舎の今昔物語 鯰田駅(筑豊のローカル線)

ほんの少し前までは古い木造駅舎だった福北ゆたか線の鯰田駅。今はすっかり近代的な駅となり、スタイリッシュになっています。新しい建物もいいのですが、古き良き木のぬくもりを感じさせてくれた木造駅舎も忘れたくはないものです。鯰田駅の備忘録として、ここに先代の駅舎について紹介したいと思います。
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