一人の教師が記録しなければ、消えていた──炭坑節を救った小野芳香という人

ono_yoshika_eyecatch 筑豊の歴史・文化

もし小野芳香という名の教師がいなければ、炭坑節は炭鉱とともに歴史の底に沈んでいたかもしれない。現在、夏の夜に日本全国で踊られるあの民謡は、明治の田川で地道なフィールドワークを続けた一人の小学校教師の仕事によって、今日に伝えられた。

この記事でわかること

– 小野芳香とはどのような人物か、その経歴と炭坑節との関係

– 「採集・改曲・記録」という行為が民謡の歴史に果たした役割

– 炭坑節が文献に残った最初の経緯と、その文化的意義


小野芳香とは?炭坑節の「発見者」にして記録者

小野芳香(1892〜1958)は田川郡伊田村出身の小学校教師で、1910年(明治43年)に選炭婦たちが口ずさむ「伊田場打選炭唄」を採集・改曲し、炭坑節を文化遺産として最初に記録した人物である。

小野は「創作者」ではない。彼が行ったのは、口承で伝わる労働歌の採集と改曲だ。消えゆく可能性のある民衆の声を拾い上げ、後世に伝わる形に整えた。その静かな行為こそが、炭坑節という文化を今日に繋いでいる。

民謡の歴史において、「記録した者」の存在は決定的に重要だ。どれほど優れた唄でも、書き留められなければ消える。小野芳香は教育者として、そのことを直感的に知っていた。


採集の現場──選炭場との出会い

小野芳香が炭坑節の原型となる唄に出会ったのは、地域の民謡・童謡を調査する教育研究の一環としてのフィールドワークがきっかけだった。授業のための地道な調査が、民謡史の転換点になった。

明治期の教師が選炭場のそばでノートに書き留めているシーン
1910年(明治43年)、選炭場のそばでフィールドワークを行う小野芳香(イメージ)

1910年、小野は「田川地方の民謡・童謡の調査収集」に取り組んでいた。子どもたちに地域の文化を伝えるための、教師としての素朴な動機から始まった仕事だ。そのフィールドワークの中で彼は、三井田川炭鉱・伊田坑の選炭場で女性たちが口ずさむ唄に耳を傾けた。

採集した唄を「三弦選炭節」として整形した。「三弦」とは三味線のことで、選炭場の民謡を三味線の伴奏に乗せて演奏できる形式に改編したものだ。この形式化によって唄は花柳界の場でも演奏可能になり、田川から小倉へ、そして全国へと伝わる回路が開かれた。

筑豊百景プロジェクトは2020年の設立以来、田川市石炭・歴史博物館や炭坑節発祥の地碑など、小野芳香ゆかりの場所を現地取材してきた。その経験から言えば、彼が唄を採集した伊田坑跡周辺に立つと、明治の選炭場の空気感が今も伝わってくる。


大正14年──最初の「文献化」

1925年(大正14年)、小野芳香は「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」を編纂し、「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録した。これが炭坑節が文字として記録された最初の文献である。

大正期に編纂された民謡研究の手書き冊子と筆記用具
「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」のイメージ(大正14年・1925年)

研究授業の参考資料として編まれたこの冊子に「炭坑節」が登場することの意味は大きい。それまで口から口へと伝わる不確かな存在だった唄が、固有名称と出自を持つ「文化財」として成立した瞬間だからだ。

記録する行為は、単なる保存ではない。唄に「名前」と「居場所」を与えることで、後世の人間が参照し、継承し、発展させる基盤をつくる行為だ。小野の仕事はまさにそれだった。


遅すぎた表彰、そして忘却

小野芳香が田川市から表彰されたのは1956年(昭和31年)。炭坑節がすでに全国的な盆踊り唄として普及した後のことで、功績の公的な認知は晩年になってからだった。

戦後の盆踊り大会で輪になって踊る人々と炭鉱の煙突シルエット
戦後の盆踊りで全国に広まった炭坑節(1948年頃・イメージ)

1948年(昭和23年)、各レコード会社が競って炭坑節を発売し、戦後の盆踊りブームに乗って全国区になった。誰もが踊り、誰もが口ずさむ民謡になった後、ようやく「この唄を最初に記録した人物がいる」という事実に光が当たった。

1958年、小野芳香は没した。享年66。

夏の夜、盆踊りの輪の中で「月が出た出た」と口ずさむとき、その唄の背後には明治の田川で野帳を手にフィールドワークを続けた一人の教師の仕事がある。彼の名前を知る人は今も決して多くない。だからこそ、ここに記しておきたい。


まとめ:文化は、記録した人によって残る

小野芳香が体現したのは、「記録することが文化の継承である」という真実だ。彼は炭坑節を「発明」したわけではない。しかし記録しなければ消えていた声を救い、後世に手渡した。それは地味で、ほとんど無名のままで終わった仕事だったが、今日の炭坑節という文化的財産はその仕事の上に立っている。

→ 関連記事:炭坑節のルーツ「伊田場打選炭唄」とは

→ 関連記事:赤坂小梅──炭坑節を全国に届けた田川生まれの歌手


Q. 小野芳香はどんな人物ですか?

福岡県田川郡伊田村(現・田川市)出身の小学校教師です。1892年生まれ、1958年没。1910年(明治43年)に地域の民謡・童謡調査の一環として炭坑節の原型「伊田場打選炭唄」を採集・改曲しました。1925年には「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」に炭坑節を文献として最初に記録し、1956年に田川市から表彰されています。

Q. 炭坑節の最初の文献記録はいつですか?

1925年(大正14年)、小野芳香が編纂した「福岡県田川郡民謡・童謡の研究」です。この中に「炭坑節(伊田町三井炭坑唄)」として収録されたのが、文字として残された最初の記録とされています。

Q. 小野芳香はなぜ炭坑節の発祥者とされないのですか?

小野の役割は「発明」ではなく「採集・改曲・記録」だったためです。炭坑節の原型となる唄はすでに選炭婦たちの間に存在しており、小野はそれを拾い上げて整形し文献化しました。唄の「生みの親」は無名の選炭婦たちの集合的な創作であり、小野は「伝えた人」として民謡史に位置づけられています。

Q. 炭坑節発祥の地を示す碑はありますか?

はい。田川市内に「炭坑節発祥の地」碑が建立されており、小野芳香と赤坂小梅への言及も記されています。田川市立図書館のデジタルアーカイブ(ADEAC)でも関連資料を閲覧できます。

Q. 小野芳香に関する資料はどこで閲覧できますか?

田川市立図書館のデジタルアーカイブ「ADEAC(adeac.jp)」に小野芳香と炭坑節に関する一次資料が公開されています。また田川市石炭・歴史博物館でも炭坑節の歴史に関する展示を見ることができます。


この記事を書いた人

松浦幸市(筑豊百景プロジェクト・経営コンサルタント)

中学高校社会科教職員免許・学芸員資格保有。福岡県田川郡福智町を拠点に、2020年より筑豊地方を中心に現地取材を重ね、訪問した事業所・文化施設は延べ100件以上。一次情報にもとづく筑豊の歴史・文化を専門的な知見で発信し続けている。


【情報源】

– 炭坑節発祥の地(小野芳香・赤坂小梅): https://adeac.jp/tagawa-lib/texthtml/d300010/mp100010-300010/ht001460

– 炭坑節 – Wikipedia: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%82%AD%E5%9D%91%E7%AF%80

– 炭坑節発祥の地 / 福岡県田川市: https://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/kiji00353/index.html

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