嘉麻市の河童伝説:遠賀川が育んだ奇妙で愛すべき物語

Blog 筑豊見聞録

福岡県の中央部に位置する嘉麻市。この地を流れる遠賀川は、古くから地域の生活と密接に結びついてきました。そして、この川の流れとともに、数々の河童伝説が語り継がれてきたのです。今回は、嘉麻市に伝わる興味深い河童伝説をご紹介します。

遠賀川と河童の深い関係

嘉麻市の馬見山を水源とする遠賀川は、筑豊地方の平野を流れ、最終的に響灘へと注ぎます。かつてこの川は、筑豊の石炭を運ぶ重要な水路として利用されていました。そんな遠賀川の流域には、古くから河童の伝説が息づいています。

馬見山の麓にて

口春(くちのはる)の悪戯好き河童

口春地区に伝わる河童伝説は、ちょっとしたドジな河童の話です。

ある日、遠賀川に住む悪戯好きの河童が、川原の牛にいたずらをしようと企みました。

ところが、思わぬ展開に。なんと河童は牛に引きずられ、川から大クスの木まで連れて行かれてしまったのです。

村人たちは悪さをした河童を木に縛り付けて懲らしめようとしましたが、優しい心の持ち主が河童を哀れに思い、許して逃がしてあげました。すると不思議なことに、それ以来この地域では水難事故が起こらなくなったそうです。

現在も口春地域には、この伝説が残る「三郎丸の大クス」が立っています。樹高15m、幹周り4mを超えるこの巨木は、樹齢1000年以上とも言われ、地域の人々から神木として崇められています。

山野(やまの)の怒れる河童たち

山野地区の河童伝説は、人間と河童の確執を描いています。

ある時、人間に居場所を奪われた河童たちが怒り、仕返しに水の便を悪くしてしまいました。その結果、村では大火事が頻発するようになってしまったのです。

困り果てた村人たちは、河童たちと交渉し、遠賀川の白門へ移り住んでもらうようお願いしました。その代わりに、毎年お供えとお祭りを行う約束をしたのです。

この伝説は、現在も続く「山野の楽(やまののがく)」という祭りの起源とも言われています。毎年秋分の日に行われるこの祭りは、別名「かっぱ祭り」とも呼ばれ、福岡県の無形民俗文化財に指定されています。

漆生(うるしお)の相撲好き河童

漆生地区の河童は、相撲が大好きだったようです。しかし、この河童との相撲は命がけ。勝つと、お尻から手を突っ込んで人間の腸を引き抜くという恐ろしい習性があったのです。

そこで賢い親たちは、子供たちに河童と相撲を取る時の秘策を教えました。「河童と相撲を取る時は、まず礼儀正しくお互いにおじぎをして始めるように」というのです。

なぜこんな変わった教えをしたのでしょうか?実は河童の頭には皿があり、そこに水が入っているのです。おじぎをすると、その水がこぼれてしまい、河童は力が出せなくなってしまうのです。この作戦のおかげで、子供たちはいつも河童に勝つことができ、悪さをされずに済んだそうです。

「なつきちゃん」:愛されるキャラクターへ

かつては悪戯ばかりしていた嘉麻市の河童ですが、今では「なつきちゃん」という愛らしいキャラクターとなり、市民から愛されています。

旧稲築町の時代からマスコットキャラクターとして親しまれ、現在も嘉麻市のあちこちで「なつきちゃん」の姿を見かけることができます。

市内の橋の端には、かわいらしい河童のオブジェが設置されており、訪れる人々の目を楽しませています。かつての悪戯好きな河童が、今では地域の象徴として愛されているのです。

河童伝説が教えてくれること

嘉麻市の河童伝説は、単なる昔話以上の意味を持っています。これらの物語は、遠賀川と共に生きてきた人々の知恵と、自然との共生の歴史を映し出しているのです。

時に悪戯好きで、時に恐ろしい存在として描かれる河童。しかし、人々はそんな河童とも上手く付き合う方法を見出してきました。それは、自然の力を恐れつつも、共に生きていく術を模索してきた先人たちの姿勢の表れかもしれません。

現代の私たちも、この河童伝説から学ぶことがあるのではないでしょうか。自然を敬い、共生していく知恵。そして、時には相手の立場に立って考えることの大切さ。嘉麻市の河童たちは、そんなメッセージを私たちに投げかけているように思えます。

嘉麻市を訪れた際は、ぜひ「なつきちゃん」を探してみてください。そして、遠賀川のほとりで、かつてこの地に住んでいたという河童たちに思いを馳せてみるのも良いかもしれません。きっと、新たな発見があるはずです。

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