古くから陸運とともに水運は、行き交う人々によって歴史が作られてきました。筑豊地方の中央を南北に縦貫する遠賀川もその一つです。
この遠賀川流域には特徴的な古墳文化が、装飾古墳に象徴されます。以下では、古代史の実像というメッセージを含んだ遠賀川流域の装飾古墳から、当時の筑豊に暮らした人たちの足跡や動向を窺ってみましょう。
遠賀川流域の装飾古墳 特徴とその魅力
遠賀川流域に古墳ができた背景
遠賀川流域は、古くから交通の要衝として栄えてきた地域であり、古墳時代においても多くの古墳が築造されました。その形もさまざまで前方後円墳をはじめ円墳、横穴墓など多数存在します。
特に、6世紀から7世紀にかけては、朝鮮半島との交流が盛んになったこともあり、装飾古墳と呼ばれる被葬者への権威や信仰を表す壁画や埴輪を備えた古墳が目を惹きます。大陸との交易や交流が容易だったこともあり、その影響が大きく感じられるのが装飾古墳に象徴されます。
全国的にも珍しい筑豊の装飾古墳の特徴は以下のようなポイントがあります。
- 装飾古墳の分布: 全国的に見ても装飾古墳の密度が高く、特に王塚古墳、水町遺跡群、川島古墳群、竹原古墳などが著名です。
- 多様な形態: 前方後円墳、円墳、横穴墓など、様々な形態の古墳が存在します。
- 豊富な副葬品: 馬具、武具、装身具など、当時の社会の様子をうかがえる副葬品が出土しています。
- 朝鮮半島との交流: 装飾内容や副葬品から、朝鮮半島との密接な交流が推測されます。
装飾古墳の魅力
遠賀川流域の古墳は、単に古い遺跡であるだけでなく、当時の社会や文化を知る貴重な資料です。そして、装飾古墳は当時比類なき芸術性があり、一方で古墳群周辺には美しい自然環境が広がっており、今でも散策を楽しめる環境にあります。
例えば以下のような見どころが挙げられます。
- 地域史の実像: 古墳に込められた装飾や副葬品から、当時の権力者や人々の暮らしを想像することができます。
- 芸術性: 王塚古墳や水町遺跡群などの装飾古墳は、鮮やかな色彩と精緻な描写で知られており、古墳時代の美術史や信仰、思想において重要な位置を占めています。
- 自然との調和: 多くの古墳は、緑豊かな山林や田園風景の中に位置しており、自然と一体となった景観を楽しむことができます。それは当時と大きく変わることがない日本の原風景といえます。
オリジナリティの高い筑豊地域の古墳文化
6世紀後半から7世紀にかけて築造された装飾古墳と呼ばれる古墳が数多く存在します。特に、中上流域には、王塚古墳(桂川町)、竹原古墳(宮若市)、川島古墳(飯塚市)といった著名な装飾古墳が集中しており、筑豊地域の特色ある古墳文化を物語っています。
王塚古墳(桂川町 国特別史跡)
- 国の特別史跡に指定された前方後円墳、前方部が朔平されましたが想定の全長は約86mです。
- 後円部石室は、朝鮮半島の影響を受けた独特な舟形構造をしており、天井には朱、白、緑などの鮮やかな色彩で描かれた壁画が残されています。
- 壁画には、天象、瑞獣、船、武人像などが描かれており、当時の政治体制や思想、信仰などを知る貴重な資料となっています。
- 王塚古墳は、朝鮮半島との交流が盛んだった6世紀後半の筑豊地域の権力者の墓と考えられています。
装飾の細かな解説は、こちらもご参考に⇨王塚装飾古墳館
竹原古墳(宮若市 国指定史跡)
- 円墳で、墳丘の直径は約40mを測ります。
- 石室内には、朱、白、黒などの色彩で描かれた壁画が残されています。
- 壁画には、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)や馬、武人像などが描かれており、王塚古墳の壁画と同様に、当時の政治体制や思想、信仰などを知る貴重な資料となっています。
- 竹原古墳は、王塚古墳と同時期に築造されたと考えられており、筑豊地域のもう一人の権力者の墓と考えられています。
川島古墳(飯塚市 市指定文化財)
- 円墳で、墳丘の直径は約15m、小型の円墳です。
- 石室内には、緑、青、赤などの色彩で描かれた壁画が残されています。
- 壁画には、人物像や幾何学模様などが描かれており、王塚古墳や竹原古墳の壁画とは異なる様式を見せています。
- 川島古墳は、7世紀前半に築造されたと考えられており、筑豊地域の古墳文化の終焉期を飾る古墳として注目されています。
副葬品から読み解く古代ロマン
ここでは、これらの古墳から出土した副葬品に焦点を当て、古代ロマンをさらに鮮やかに描いていきたいと思います。
王塚古墳
豪華絢爛な馬具: 金銅製鎧、杏葉形金具など、精巧な装飾を施された馬具が多数出土しています。これらの馬具は、被葬者が高い身分や権力を持っていたことを示しています。
朝鮮半島製の装身具: 金製耳飾り、ガラス製勾玉、透かし彫りの金製帯金具など、朝鮮半島から渡来したと考えられる装身具が出土しています。これらの装身具は、被葬者が朝鮮半島との交流を持っていたことを示しています。
鉄製の武器: 長刀、槍、大刀など、鉄製の武器が出土しています。これらの武器は、被葬者が戦闘において重要な役割を果たしていたことを示唆しています。しかし、古墳時代の戦闘様式を完全には解明できていないため、これらの武器がどのように使用されていたのかは謎に包まれています。
竹原古墳
形十字文 杏葉
金銅製の馬具: 王塚古墳の出土品と同様、金銅製の馬具が注目される副葬品です。当時でも金は貴重な鉱物で、一般的な人の入手はほぼ困難だったと考えられています。このため、埋葬された人物は地域の中でも指導者的な立場、しかも軍事的な統率力を有した人が想像されます。
川島古墳
朝鮮半島製の土器: 高坏(たかつき)や坏(つき)など、朝鮮半島から渡来したと考えられる土器が出土しています。大陸からの技術や文化が、当時の暮らしに色濃く影響していたことがわかります。
鉄製武器: 直刀や刀子をはじめ、鏃(矢の先端部分)などが副葬されていました。他にも馬具なども確認され、武将のような位置にあった身分という被葬者像が思い起こされます。
金銅製装身具: 金銅製耳飾りや切子玉など、精巧な装飾を施された金銅製の装身具や現代で言うアクセサリーが出土しています。これらの装身具は、被葬者が高い身分で権力を持っていたことを示しています。
まとめ
王塚古墳、竹原古墳、川島古墳を代表とする遠賀川中上流域の装飾古墳は、朝鮮半島との交流を背景に、独自の様式と内容を持つ壁画を備えています。これらの壁画は、単なる装飾にとどまらず、当時の政治体制や思想、信仰などを表現していました。
特に王塚古墳は、全国で63件(令和5年5月1日現在)しかないため、その希少価値の高さを物語っています。つまり、国宝級の史跡と捉えても遜色のないほどのものです。それは、石室内部の装飾豊かな表現が、当時の流行りを象徴するものであり類例がないためと言えます。
王塚古墳、竹原古墳、川島古墳から出土した副葬品は、被葬者たちの生活ぶりや当時の社会情勢を知る貴重な資料となっています。これらの副葬品から、古代の人々がどのような暮らしをしていたのか、どのような価値観を持っていたのかを想像することができます。
そして、壁画に描かれた図紋から、当時の思想や信仰、現代で言うところのスピリチュアル的な考え方や日常の生活習慣が人々に受け入れられていたことが裏付けられます。
遠賀川中上流域の装飾古墳は、単なる古い遺跡ではなく、古代ロマンを体感できる貴重な場所です。ぜひ一度、これらの古墳を訪れて、古代の人々の息吹を感じてみてください。
コメント