この記事でわかること
- 風治八幡宮の故事
- 赤村に残る神功皇后の伝承
- 伝承から見える筑豊の神話
- 神功皇后伝承が語る筑豊の古代史
風治八幡宮の故事
風治八幡宮(田川市)は、川渡り神幸祭(福岡県指定無形民俗文化財)がおこなわれるところとして著名だ。煌びやかなバレンで飾られたヤマが、十数基彦山川に入水して“がぶる”様子をテレビや新聞ポスター等で見かけた人も多いだろう。毎年5月の田川は、「神幸」、「神幸」と口にしながら祭りへの気運がただならぬムードを醸し出す。
【風治八幡宮(田川市)】
その風治八幡宮のいわれには、このようなエピソードがある。
神功皇后がこの地にたどり着いたとき、急に風雨が激しくなり大荒れとなった。川を渡れないことに際し神功皇后は、悪天候を祈願により神通力でもってたちまち風雨をおさめた。「風治」とはこの故事にちなんでのことという。
筑豊一ノ宮風治八幡宮の由緒
⇒http://fuuji.net/yuisho/
赤村に残る神功皇后の伝承
さらに東へ向う神宮皇后は、香春には行かず赤村へと歩みいれた。皇后は、赤村の東に位置し京都郡との境近くにある、山浦(「やまうら」とよむ)というところで一休みした。その際腰掛けたという石が、山浦大祖神社の鳥居の前にある。その名も「神功皇后御腰掛石」。
【山浦太祖神社(赤村)】
【山浦太祖神社の神功皇后御腰掛石(大正年間の紀年銘あり)】
さらに東に進み赤村とみやこ町犀川との境界あたりで、「先にも山ありや」というセリフを残したとも伝わっている。このことにちなんで、みやこ町犀川には“崎山”という地名(平成筑豊鉄道田川線の崎山駅下車)がある。その反対に、皇后が腰掛けたところを“山浦”と呼ばれるようになった。
伝承から見える筑豊の神話
以上の話しは日本書紀、古事記に記載がないが、長い間言い伝えとして郷土に受け継がれてきたもの。言い伝えは所詮「伝承」として、美化されている部分も否めない。だが、これほど地名と伝承が密接に関係し、「御腰掛石」などの物的証拠を目の当たりにすると、あながち伝承の美化とは信じがたくなる。 さらに伝承と地名というポイント群が、結びつきひとつの物語を形成しているところも真実味に箔がつく。福岡県を中心として、北部九州には神功皇后の逸話が秘められた地は多い。 北部九州で筑豊も例外ではなく、むしろ他地域より多いように思われる。「これはホントでは?」と言ってもおかしくない神話だが、それは古代史の謎解きにも似たおもしろさに満ちている。神功皇后伝承が語る筑豊の古代史
風治八幡宮や山浦大祖神社に残る神功皇后の伝承は、古事記・日本書紀には記されていない地域固有の物語です。しかし、「御腰掛石」のような物的証拠と地名の分布が整合するという事実は、単なる作り話として片付けられないリアリティを持っています。こうした地域伝承は、文献に残らなかった古代の人々の動きや信仰を伝える貴重な歴史資料と見ることもできます。
筑豊地方には「崎山」「山浦」など、神功皇后の行程に関連すると伝わる地名が複数存在します。これらの地名が地図上でひとつの線上に並ぶとき、伝承の背後に何らかの歴史的事実が存在したのではないかという想像が膨らみます。古代史の謎解きとして、地名を手がかりに筑豊を歩いてみるのも、ユニークな旅の楽しみ方です。
川渡り神幸祭と風治八幡宮を訪ねて
風治八幡宮で毎年5月に行われる川渡り神幸祭は、福岡県指定の無形民俗文化財です。煌びやかなバレン(飾り)で装飾された山車(ヤマ)が彦山川を渡る光景は、田川を代表する祭りとして県内外から多くの参拝者を集めます。神功皇后が嵐を鎮めたという故事を起源とするこの祭りに参加することで、伝承の世界が生き生きとよみがえります。筑豊の古代神話に触れたい方には、ぜひ足を運んでいただきたい場所です。
この記事を書いた人
松浦幸市(筑豊百景プロジェクト・経営コンサルタント)
中学高校社会科教職員免許・学芸員資格保有。福岡県田川郡福智町を拠点に、2020年より筑豊地方を中心に現地取材を重ね、訪問した事業所・文化施設は延べ100件以上。一次情報にもとづく筑豊の歴史・文化を専門的な知見で発信し続けている。

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